漫画・小説・演劇・ドラマ、ジャンルも媒体も男も女も関係なく、腐った可愛そうな頭の人間が雑多に書き散らすネタ帳です。 ていうかあれだ。サイトに載せる前の繋ぎみたいな。
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正直、運転はあまり得意じゃない。車を出すときは大抵金田に頼っているし、自分で運転することは殆どないからだ。それでも、助手席で高鼾をかきながら寝こけているコイツにさせるよりはマシだろう、と、角松一郎は汗ばむ手でもってハンドルを握り締めた。
本日は、二手に分かれての実地調査。明珍の計らいにより、一郎と芯子のチームと金田、工藤、明珍のチームとに分けられ調査場所へと向かった。
チーム編成で内心喜んだのも束の間、苦手な運転をさせられて芯子とも碌々話せず終いである。あまりに暇すぎたのだろう、大あくびを幾度となくかましていた芯子は、着いたら起こせ、と寝始めてしまった。せっかくの二人きりなのに、と仕事中にそんなことを考えている自身にため息が出る。しかも、もう直ぐで庁舎へ到着出来るという所まできて、事故渋滞。なかなか進まないし、逸れる横道もない。
はあ。
再び漏れた溜め息に呼応するかのように、芯子が深く息を吸う。そして、へえっくしょい! と妙齢の女性らしからぬくしゃみを致した。
「……オッサンか、お前は……」
返事はなく、代わりにまた小さな寝息が聞こえる。
でかいくしゃみをしたくせに起きる気配もない女。
少し俯き加減の顔。化粧っ気のないそれだけれど、長めの睫毛、意志の強さが現れたような眉、すらりとした鼻、ふっくらした唇に、つんと尖った顎。表情もなく唇は引き結ばれているが、寝ている顔は、普段が蓮っ葉で子どもっぽいからだろうか? いやに整っているように見える。
普段とて綺麗な顔つきなのだけれど、悪態をつかないだけで全然雰囲気が違う。
ジッと芯子を見つめていた一郎は自身の鼓動が速度を増していくのを感じて、慌てて視線を前へと戻す。相変わらず、前の車は一向に進む気配を見せない。
「……いつんなったら帰れるんだか」
思わずそう呟いて、再た助手席を見た。
工藤は、コイツのどこが好きなのだろう?
考えて、自嘲する。俺の方が筋金入りだ。
尤も、芯子は工藤の方が好きなのかも知れないけれど。
(アイツは『優』で俺はひたすら『シングルパー』だもんなー……)
昔、『洋子』と付き合っていたときは、『一郎さん』と呼ばれていた。それが酷く懐かしく、また、工藤優がちょっと嫉ましい。
(って、バカか俺は)
横を見ればくうくうと寝息を立てる女。無防備すぎて涙が出そうだ、まったく。
……今なら、出来るだろうか。芯子は寝ているし、見ている人も居ない。咎める奴がいない。しかも彼女はお誂え向きに此方を向いている。
未だ動かない車内。
「芯子……」
一郎は、シートベルトで縛られた身体を捩ると、芯子の顔に自分のそれを近付けた。脈がどくどくと早くなる。
触れた唇が、熱い。
触れただけ。ただそれだけ。
唇を離しても芯子は起きない。
「……進まねえなあ……」
前に向き直った一郎は、そう小さく呟いた。
一向に進まない。あの日遮られた告白もそのまま、何も。
十二月二十八日、仕事納めの日の午後の車内での出来事である。
本日は、二手に分かれての実地調査。明珍の計らいにより、一郎と芯子のチームと金田、工藤、明珍のチームとに分けられ調査場所へと向かった。
チーム編成で内心喜んだのも束の間、苦手な運転をさせられて芯子とも碌々話せず終いである。あまりに暇すぎたのだろう、大あくびを幾度となくかましていた芯子は、着いたら起こせ、と寝始めてしまった。せっかくの二人きりなのに、と仕事中にそんなことを考えている自身にため息が出る。しかも、もう直ぐで庁舎へ到着出来るという所まできて、事故渋滞。なかなか進まないし、逸れる横道もない。
はあ。
再び漏れた溜め息に呼応するかのように、芯子が深く息を吸う。そして、へえっくしょい! と妙齢の女性らしからぬくしゃみを致した。
「……オッサンか、お前は……」
返事はなく、代わりにまた小さな寝息が聞こえる。
でかいくしゃみをしたくせに起きる気配もない女。
少し俯き加減の顔。化粧っ気のないそれだけれど、長めの睫毛、意志の強さが現れたような眉、すらりとした鼻、ふっくらした唇に、つんと尖った顎。表情もなく唇は引き結ばれているが、寝ている顔は、普段が蓮っ葉で子どもっぽいからだろうか? いやに整っているように見える。
普段とて綺麗な顔つきなのだけれど、悪態をつかないだけで全然雰囲気が違う。
ジッと芯子を見つめていた一郎は自身の鼓動が速度を増していくのを感じて、慌てて視線を前へと戻す。相変わらず、前の車は一向に進む気配を見せない。
「……いつんなったら帰れるんだか」
思わずそう呟いて、再た助手席を見た。
工藤は、コイツのどこが好きなのだろう?
考えて、自嘲する。俺の方が筋金入りだ。
尤も、芯子は工藤の方が好きなのかも知れないけれど。
(アイツは『優』で俺はひたすら『シングルパー』だもんなー……)
昔、『洋子』と付き合っていたときは、『一郎さん』と呼ばれていた。それが酷く懐かしく、また、工藤優がちょっと嫉ましい。
(って、バカか俺は)
横を見ればくうくうと寝息を立てる女。無防備すぎて涙が出そうだ、まったく。
……今なら、出来るだろうか。芯子は寝ているし、見ている人も居ない。咎める奴がいない。しかも彼女はお誂え向きに此方を向いている。
未だ動かない車内。
「芯子……」
一郎は、シートベルトで縛られた身体を捩ると、芯子の顔に自分のそれを近付けた。脈がどくどくと早くなる。
触れた唇が、熱い。
触れただけ。ただそれだけ。
唇を離しても芯子は起きない。
「……進まねえなあ……」
前に向き直った一郎は、そう小さく呟いた。
一向に進まない。あの日遮られた告白もそのまま、何も。
十二月二十八日、仕事納めの日の午後の車内での出来事である。
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コンコン、と、鉄の扉を叩く音がした。出にくい声をそれでも張って、はい、と返事をすれば引き戸が開かれる。
「……くるコメ……」
酷く押し殺したような声が、久方振りに鼓膜を打つ。最後にあったのは、いつだったか。もう流れる年月すら外の出来事になってしまって、時間すら曖昧で。
「待って、いたよ……」
その曖昧に永い時を、ただ君に逢うために生きた。
暁光に帰す
「……痩せたな」
「まあ、座りたまえ……」
そう、扉を開けた女性を促せば、彼女は唇を噛み締めながらベッドの脇の椅子に腰掛けた。
記憶にあるよりも、面差しが柔和になったように感じる。いい歳の重ね方をしているのだろう。
「ひさ……久しぶりだね」
掠れる声は聞きにくいだろうが、どうにも出来ない。それでも痰の絡んだ喉を震わせて、声を出す。
「……アンタにまた会うとは、な」
「なぜ、……来てくれたのかな」
「……呼んだの、アンタのくせに。あーったく、アンタのせいでアタシ、自首することになったんだよな」
返答は的を外していたが、それでもいい。彼女があの日切り捨てた自分との『会話』が今、続いている。
「どちらにしろ、自首はするつもりだったように思うがね……」
彼女は。
堤芯子は、自分が思っていたよりもずっと潔い女性だった。自分は世の中を牛耳るつもりでいたにも関わらず世の中の様子を知らずにいたことで、見事に潰された。彼女自身への脅しは意味をなさないことはわかっていた、それ故にあの課長補佐を、否、彼女以外の二係を彼女の安全を確保することによって操作しようとしたのだ。それも彼女の彼女たる信念にはやはり、無意味であったけれど。
そんな日々さえ懐かしい。
ふーっと息をついた彼女が、口を開く。
「アンタさあ、命を救われたとかなんとか言ってただろ。なんか勘違いしてそうだからゆっとくけど、それ、アタシじゃないから。自分でもっとよく探したほーがいーんじゃない? って言いに来た。これが今日きた理由」
で、アンタは何でアタシを呼んだの、と、問われる。
「……私は、ガンでね。末期だ……先も長くない」
「……」
「君にもう一度だけ会いたかった……それが、理由だ」
「……生きることを諦めるんだ」
「はは……もう、充分だ……充分」
命を捨てるなんて贅沢だ、と言った少女が居た。その言葉に、その少女に、救われた自分がいた。彼女は勘違いといったが、それでも構わない。自分にとってのあの少女は、紛れもなく目の前の彼女なのだから。
……ふと、気になった。
「……君は、今も会検で……?」
「ま……一応籍は置いてるけど? なんで」
「……茶々君に君に会いたい旨を伝えた時に……少し難しい顔をされてね……」
「ああ……そ」
もう居ないのかと思ったのだ、と言うと、続いてるけど、が返る。彼女にしては煮え切らない反応だ。
「他の面々も、元気かな……?」
「……優もそーめんかぼちゃも元気だよ。優は自分の力でなんかちょっと上に行ったけど、ちょくちょく会ってるし、そーめんかぼちゃは主任になったな。マメも元気だけど娘さんが反抗期って嘆いてる。……もー片方のシングルパーも、そこそこ、な」
新しい奴が一人入ったけどコイツがまたせーぎせーぎ五月蝿いんだ、と、彼女が笑った。
「……笑ってくれたね」
「は?」
面食らったような顔をした彼女に、自分も少し笑う。
「……あのさ、アタシはまだアンタを許せないし、これからも許せる日は来ないかも知れない。つか、来ないね」
「……だろうなあ……残念だが……」
「でも、一個だけ礼言っとくよ。……アタシをカイケンに呼んでくれたこと。アリガトさん」
今度は、此方が目を見開く番だった。
蓮っ葉な彼女の言動が少しだけ大人びたようだ。
「んじゃ、アタシはこれでお暇するか、な」
「ああ……ありがとう」
堤、芯子くん。
その言葉に、少しだけ彼女の目がきょろきょろと動いた。何かを言おうか言うまいか迷うような顔。
「何か?」
「……あー……アタシ、堤じゃないんだよな」
「うん?」
「……苗字、堤じゃなくて……」
「……結婚したのかい?」
「ん……」
こんなんでも、いちおーな。
そう言って笑った彼女は、記憶のどれに残る顔より、幸せに満ちたそれをしていた。
「ま、また来る時があったらそん時に、な」
「……ああ、そうだね……それでは」
「ん、じゃーな」
再び会うことはもう叶わないだろう。けれど、これでいい、とそう思った。
彼女が重い鉄の引き戸に手をかけ、そのまま、あー、と唸る。
「……くるコメ、アタシ、アンタを許せないけど」
別に嫌いじゃなかったよ。
扉が閉まった。パタン、と小さなゴムの音だけを残して。
彼女の出て行った扉を、暫くの間見つめていた。脇にあるナースコールを震える指で押し込めば、ワンコール、ツーコール、スリーコール目で『はい、どうしました?』と、看護師の声が聞こえる。
「……すみませんが、少し外が見たいんだ……お願い出来るかな……?」
※※※
病院を出て足早に歩く芯子。道の途中に据えてあるベンチから、その姿を見つけてはしゃく小さな子どもが居た。抱かれているにも関わらず、抱いている男をばしばしと小さな手でもって叩く。
「まぁー!」
それまでおとなしかった子が突然必死になって手を伸ばす様子に、クルクルパーマも振り向いた。芯子の姿を認めた一郎は叩かれながらもその口角を上げる。
「……お、おかえり……イッテェ! こら、パパを叩くな!」
「ただーいま。ほれ、母ちゃんとこおいで……っと」
大暴れする我が子に苦戦する一郎に、芯子が手を伸ばした。子どもの脇に手を差し入れて慣れた手つきでひょいと抱き上げる。
「いー子してたか?」
きゃっきゃと笑う子を抱き締めると、一郎が苦笑しながら溜め息をつく。さんざん髪の毛を弄ばれたのだろう。一郎があやす時はいつもそうだから。
「……どうだった? 久留米さんは」
「あー……がんだってさ。本人が言ってたよ」
「そうか……。何話した?」
「うん? んーとね……アンタが救われたっつってた話の女の子はアタシじゃないよ、って話とかー」
「お前なのに?」
「……あと、苗字が変わったって話とか」
一郎が噴き出す。
「結局言ったんか。あんだけ言わないっつってたくせに」
「でも! 誰とーとは言って、ない」
「……お前の優しさは伝わりにくいんだよ」
一郎の手が、芯子の頭を撫でた。
あの時芯子達の挫いた悪は、言い意味でも悪い意味でも久留米の生きがいだった。後悔など勿論ないが、それでも芯子には思うところがあったのだろう。
「……もし又今度があったら、そん時は、教えてやるよ」
「だな……。……おーおー寒いな! さっき工藤からメールがあってな、鉄っちゃんと一緒に年増園に居るってさ」
「昼から酒浸りか、お大臣だねーえ」
「鉄っちゃんがみぞれちゃんに会うための口実だろ」
先をスタスタ歩く芯子を見ながら、一郎はちらりと後ろに聳える病院を見る。もしあの時に久留米があの国家予算を手にしていたら、こんな病院ではなくもっと豪奢なところで余生を過ごしていたのかもしれない。
と、一郎が見上げた先にこちらを眺める影が一つ。あまりよくは見えないが、記憶にあるよりも大分痩せたその姿。
久留米だった。
一郎が小さく会釈をすれば、窓の向こうの人も頷くように返してくる。
一郎は、踵を返した。
「ってお前、歩くの早えーよ!」
「あー? アンタが遅いんだっちゅーの。早く来な」
※※※
窓から離れた久留米は、座り込んだ車椅子の上で微笑んだ。
「彼だったか……」
彼女が彼から取り上げて抱えたのは、恐らく彼らの子どもだろう。否、違っても構わない。己にとって倖せな夢であればいい。
「時代は、進んでいる……か」
とっとと若者に託せ、と言われた言葉が蘇った。
日本は、死ぬかもしれない。けれど、生きるかもしれない可能性があるならば、老害は矢張り朽ちるべきだろう。もう、思い残すこともない。
「ああ……一つだけ」
※※※
二係の面々が駆け込んだ時、久留米の命は尽きる寸前だった。それでも、なんとか生き繋いでいる。
「くるコメ……」
『久留米さんが、末期には君を呼んで欲しいと言っていたんだ。来てくれるかね』
茶々に呼ばれた芯子は、久留米の傍に寄る。
「……なんだよ、アタシを呼んでって」
「……」
芯子の後ろでは、一郎、工藤、明珍、金田が息を飲んでその様子を窺っている。
薄い息遣い。芯子がそこに耳を寄せると、微かな音が聞こえた。
お、め、で、と、う
「……っ」
「芯子……?」
口を引き結んだ芯子の手を、一郎が握る。
その手と、それから、芯子の頬に流れた一筋を見て、久留米は最期に笑みを浮かべた。
窓からは眩い光明が差し込む。
夜が沈み、新しい日の昇る、ある冬のことだった。
「……くるコメ……」
酷く押し殺したような声が、久方振りに鼓膜を打つ。最後にあったのは、いつだったか。もう流れる年月すら外の出来事になってしまって、時間すら曖昧で。
「待って、いたよ……」
その曖昧に永い時を、ただ君に逢うために生きた。
暁光に帰す
「……痩せたな」
「まあ、座りたまえ……」
そう、扉を開けた女性を促せば、彼女は唇を噛み締めながらベッドの脇の椅子に腰掛けた。
記憶にあるよりも、面差しが柔和になったように感じる。いい歳の重ね方をしているのだろう。
「ひさ……久しぶりだね」
掠れる声は聞きにくいだろうが、どうにも出来ない。それでも痰の絡んだ喉を震わせて、声を出す。
「……アンタにまた会うとは、な」
「なぜ、……来てくれたのかな」
「……呼んだの、アンタのくせに。あーったく、アンタのせいでアタシ、自首することになったんだよな」
返答は的を外していたが、それでもいい。彼女があの日切り捨てた自分との『会話』が今、続いている。
「どちらにしろ、自首はするつもりだったように思うがね……」
彼女は。
堤芯子は、自分が思っていたよりもずっと潔い女性だった。自分は世の中を牛耳るつもりでいたにも関わらず世の中の様子を知らずにいたことで、見事に潰された。彼女自身への脅しは意味をなさないことはわかっていた、それ故にあの課長補佐を、否、彼女以外の二係を彼女の安全を確保することによって操作しようとしたのだ。それも彼女の彼女たる信念にはやはり、無意味であったけれど。
そんな日々さえ懐かしい。
ふーっと息をついた彼女が、口を開く。
「アンタさあ、命を救われたとかなんとか言ってただろ。なんか勘違いしてそうだからゆっとくけど、それ、アタシじゃないから。自分でもっとよく探したほーがいーんじゃない? って言いに来た。これが今日きた理由」
で、アンタは何でアタシを呼んだの、と、問われる。
「……私は、ガンでね。末期だ……先も長くない」
「……」
「君にもう一度だけ会いたかった……それが、理由だ」
「……生きることを諦めるんだ」
「はは……もう、充分だ……充分」
命を捨てるなんて贅沢だ、と言った少女が居た。その言葉に、その少女に、救われた自分がいた。彼女は勘違いといったが、それでも構わない。自分にとってのあの少女は、紛れもなく目の前の彼女なのだから。
……ふと、気になった。
「……君は、今も会検で……?」
「ま……一応籍は置いてるけど? なんで」
「……茶々君に君に会いたい旨を伝えた時に……少し難しい顔をされてね……」
「ああ……そ」
もう居ないのかと思ったのだ、と言うと、続いてるけど、が返る。彼女にしては煮え切らない反応だ。
「他の面々も、元気かな……?」
「……優もそーめんかぼちゃも元気だよ。優は自分の力でなんかちょっと上に行ったけど、ちょくちょく会ってるし、そーめんかぼちゃは主任になったな。マメも元気だけど娘さんが反抗期って嘆いてる。……もー片方のシングルパーも、そこそこ、な」
新しい奴が一人入ったけどコイツがまたせーぎせーぎ五月蝿いんだ、と、彼女が笑った。
「……笑ってくれたね」
「は?」
面食らったような顔をした彼女に、自分も少し笑う。
「……あのさ、アタシはまだアンタを許せないし、これからも許せる日は来ないかも知れない。つか、来ないね」
「……だろうなあ……残念だが……」
「でも、一個だけ礼言っとくよ。……アタシをカイケンに呼んでくれたこと。アリガトさん」
今度は、此方が目を見開く番だった。
蓮っ葉な彼女の言動が少しだけ大人びたようだ。
「んじゃ、アタシはこれでお暇するか、な」
「ああ……ありがとう」
堤、芯子くん。
その言葉に、少しだけ彼女の目がきょろきょろと動いた。何かを言おうか言うまいか迷うような顔。
「何か?」
「……あー……アタシ、堤じゃないんだよな」
「うん?」
「……苗字、堤じゃなくて……」
「……結婚したのかい?」
「ん……」
こんなんでも、いちおーな。
そう言って笑った彼女は、記憶のどれに残る顔より、幸せに満ちたそれをしていた。
「ま、また来る時があったらそん時に、な」
「……ああ、そうだね……それでは」
「ん、じゃーな」
再び会うことはもう叶わないだろう。けれど、これでいい、とそう思った。
彼女が重い鉄の引き戸に手をかけ、そのまま、あー、と唸る。
「……くるコメ、アタシ、アンタを許せないけど」
別に嫌いじゃなかったよ。
扉が閉まった。パタン、と小さなゴムの音だけを残して。
彼女の出て行った扉を、暫くの間見つめていた。脇にあるナースコールを震える指で押し込めば、ワンコール、ツーコール、スリーコール目で『はい、どうしました?』と、看護師の声が聞こえる。
「……すみませんが、少し外が見たいんだ……お願い出来るかな……?」
※※※
病院を出て足早に歩く芯子。道の途中に据えてあるベンチから、その姿を見つけてはしゃく小さな子どもが居た。抱かれているにも関わらず、抱いている男をばしばしと小さな手でもって叩く。
「まぁー!」
それまでおとなしかった子が突然必死になって手を伸ばす様子に、クルクルパーマも振り向いた。芯子の姿を認めた一郎は叩かれながらもその口角を上げる。
「……お、おかえり……イッテェ! こら、パパを叩くな!」
「ただーいま。ほれ、母ちゃんとこおいで……っと」
大暴れする我が子に苦戦する一郎に、芯子が手を伸ばした。子どもの脇に手を差し入れて慣れた手つきでひょいと抱き上げる。
「いー子してたか?」
きゃっきゃと笑う子を抱き締めると、一郎が苦笑しながら溜め息をつく。さんざん髪の毛を弄ばれたのだろう。一郎があやす時はいつもそうだから。
「……どうだった? 久留米さんは」
「あー……がんだってさ。本人が言ってたよ」
「そうか……。何話した?」
「うん? んーとね……アンタが救われたっつってた話の女の子はアタシじゃないよ、って話とかー」
「お前なのに?」
「……あと、苗字が変わったって話とか」
一郎が噴き出す。
「結局言ったんか。あんだけ言わないっつってたくせに」
「でも! 誰とーとは言って、ない」
「……お前の優しさは伝わりにくいんだよ」
一郎の手が、芯子の頭を撫でた。
あの時芯子達の挫いた悪は、言い意味でも悪い意味でも久留米の生きがいだった。後悔など勿論ないが、それでも芯子には思うところがあったのだろう。
「……もし又今度があったら、そん時は、教えてやるよ」
「だな……。……おーおー寒いな! さっき工藤からメールがあってな、鉄っちゃんと一緒に年増園に居るってさ」
「昼から酒浸りか、お大臣だねーえ」
「鉄っちゃんがみぞれちゃんに会うための口実だろ」
先をスタスタ歩く芯子を見ながら、一郎はちらりと後ろに聳える病院を見る。もしあの時に久留米があの国家予算を手にしていたら、こんな病院ではなくもっと豪奢なところで余生を過ごしていたのかもしれない。
と、一郎が見上げた先にこちらを眺める影が一つ。あまりよくは見えないが、記憶にあるよりも大分痩せたその姿。
久留米だった。
一郎が小さく会釈をすれば、窓の向こうの人も頷くように返してくる。
一郎は、踵を返した。
「ってお前、歩くの早えーよ!」
「あー? アンタが遅いんだっちゅーの。早く来な」
※※※
窓から離れた久留米は、座り込んだ車椅子の上で微笑んだ。
「彼だったか……」
彼女が彼から取り上げて抱えたのは、恐らく彼らの子どもだろう。否、違っても構わない。己にとって倖せな夢であればいい。
「時代は、進んでいる……か」
とっとと若者に託せ、と言われた言葉が蘇った。
日本は、死ぬかもしれない。けれど、生きるかもしれない可能性があるならば、老害は矢張り朽ちるべきだろう。もう、思い残すこともない。
「ああ……一つだけ」
※※※
二係の面々が駆け込んだ時、久留米の命は尽きる寸前だった。それでも、なんとか生き繋いでいる。
「くるコメ……」
『久留米さんが、末期には君を呼んで欲しいと言っていたんだ。来てくれるかね』
茶々に呼ばれた芯子は、久留米の傍に寄る。
「……なんだよ、アタシを呼んでって」
「……」
芯子の後ろでは、一郎、工藤、明珍、金田が息を飲んでその様子を窺っている。
薄い息遣い。芯子がそこに耳を寄せると、微かな音が聞こえた。
お、め、で、と、う
「……っ」
「芯子……?」
口を引き結んだ芯子の手を、一郎が握る。
その手と、それから、芯子の頬に流れた一筋を見て、久留米は最期に笑みを浮かべた。
窓からは眩い光明が差し込む。
夜が沈み、新しい日の昇る、ある冬のことだった。
純粋な好意、というものに、どうにも弱い。好かれて嫌な気はしないんだけど、正直、参るね。下心が見え見えならいいんだけど、ただ告白されるだけってのは、堪える。なんでかっつうと、答えはカンタンで、アタシはその純粋な好意に対して返せるものを持ってないから。好きって言葉の重いこと。見返りなんか要らないなんて殊勝な顔をして、だから余計に困るだなんてきっと、わかっちゃないんだろ。「好きです」の後に「付き合って下さい」なんて付いてたら良かったのに。そしたら、断ってやれたから。でも、アイツがアタシのことが好きだって気持ちを、嘘だ、なんて無下には出来ない。
言ってくれなきゃ良かったのにな。アイツはアタシを「好きなのかもしれない」そんな曖昧なままなら良かったのに、な。
あーあ。
アタシはもう、考えなきゃいけない。
どーやってアンタを突き放すか、考えなきゃいけない。
言ってくれなきゃ良かったのにな。アイツはアタシを「好きなのかもしれない」そんな曖昧なままなら良かったのに、な。
あーあ。
アタシはもう、考えなきゃいけない。
どーやってアンタを突き放すか、考えなきゃいけない。
一郎が襖を開けると、一組の布団、枕が仲良く二つ並べられたそれに堤芯子が胡座をかいていた。
結局温泉には入らずに家の風呂を使ったため、まだしっとり濡れたままの髪を乱暴に拭き続けていた芯子が、襖の紙擦れの音にこちらを見やる。
「おそかったな?」
アンタの母ちゃんに、これ二人で使って下さいね、って言われたんだけど?
指されたのは芯子が下に敷いている一組の布団で、これを二人で使え、は一郎も言われた。枕はあるのに布団はないってのも面白い、と呟く芯子に、一郎が深いため息を吐く。
正直襖をあけた時に彼女が元婚約者ママ粛々と座って居たらどうしよう、とドキドキしていた。この一ヶ月で堤芯子というそれこそありのままの人間を知ったというのに。期待すればしただけ裏切られるというのに。例えば過去だとか、最近でいうならあの時とか、あの時とかッ! 否、期待なんか、していないけれど!
一郎は思い出した諸々にムカムカとしながらも、それをぐっと耐え込んで、布団に座る芯子に手を差し出した。芯子は訝しげにその手を見る。
「何」
「枕一つ寄越せ」
向こうでアイツ等と一緒に寝るから、と面倒くさそうに言う一郎に、芯子は僅かに口角を上げる。
「あっれーぇ?」
「なんだ、早く枕寄越せ」
言われた言葉に従うように、芯子は枕を一つ取り上げると、けれどそれを手渡すでも投げるでもなく、前に抱えた。そして、可愛らしく小首を傾げると詰まらなそうに唇を尖らせる。
こんな女、か、わ、い、く、な、ん、か、と思うのに、一郎の単純な心臓は早鐘を打つのだからなんだかもう、自分で自分が情けない。
ああ、だって、可愛い。四十も間近の癖に、可愛いのだ。
「……なぁに、角松さん、せっかくお母様がお布団ご用意して下さったのに、あっちでお休みになるんですかぁ? ヨーコ寂しい……」
「バッ……!? 馬鹿言ってないで早く寄越せッ」
この、男タラシが! とうとう叫ぶようにそう言うと、柔和に細められていた芯子の眦がキリリと上がった。強気の瞳がガッツリ一郎を睨む。ちょっとビビる。
「……寄越せ寄越せ言ってないで枕の一つくらい自分で持って、け、っつーの!」
ひっつかまれた枕は、一郎の顔目掛けて綺麗に飛び、その顔面を強か叩いた。
「ブッ……おいこら投げるな!」
「あーもーっさいな、とっとと出、て……ると寒いから、早くお布団入りましょ、ね? シ……一朗さん」
「あ? お前何言って、」
突然声色と喋り方が変わった。角松は、コイツ頭大丈夫か、と訝しむが、芯子が、自分の後ろの誰かに小さく会釈をしたのを見て、動きを止める。誰に? そんなこと、決まっている。
「一朗、明日も早いんだから、早く寝なよ?」
母であった。
途端に、角松の挙動は不振になる。当然だ。普段のように罵倒し合うことは、即ち自分と婚約者の仲を隠し通せなくなること。避けねばならない第一優先事項なのだから。
「か、あちゃ、お、おお、寝るわ! 寝よ寝よ、な、洋子!」
母親の前で『自分の女』とそそくさ一つの布団に入るのもどうかと思うが仕方ない。
「本当に仲いいわねえ」
「はぁい(もっとそっち行け!)」
「お、お休みぃ~(これ以上行けるか馬鹿! ギリギリだわ! お前こそもっとそっち寄れ!)」
小声の言い合いを『もっとこっちに来て』『これ以上行けるか馬鹿! 母親の前だぞ!』とでも取ったのか? それじゃ、私もアテられちゃう前に休みましょ。と、何を想像したのかわからない母は、お休みなさい、と襖を閉めた。
遠ざかる足音、布団の中の二人は、仲良く溜め息を吐き出す。
「で?」
「あ?」
「一緒に寝るわけ?」
「寝るか馬鹿!」
*
*
*
「あっちで寝るんじゃないんですか?」
「出来るわけねえだろ」
(うろ覚え)
結局温泉には入らずに家の風呂を使ったため、まだしっとり濡れたままの髪を乱暴に拭き続けていた芯子が、襖の紙擦れの音にこちらを見やる。
「おそかったな?」
アンタの母ちゃんに、これ二人で使って下さいね、って言われたんだけど?
指されたのは芯子が下に敷いている一組の布団で、これを二人で使え、は一郎も言われた。枕はあるのに布団はないってのも面白い、と呟く芯子に、一郎が深いため息を吐く。
正直襖をあけた時に彼女が元婚約者ママ粛々と座って居たらどうしよう、とドキドキしていた。この一ヶ月で堤芯子というそれこそありのままの人間を知ったというのに。期待すればしただけ裏切られるというのに。例えば過去だとか、最近でいうならあの時とか、あの時とかッ! 否、期待なんか、していないけれど!
一郎は思い出した諸々にムカムカとしながらも、それをぐっと耐え込んで、布団に座る芯子に手を差し出した。芯子は訝しげにその手を見る。
「何」
「枕一つ寄越せ」
向こうでアイツ等と一緒に寝るから、と面倒くさそうに言う一郎に、芯子は僅かに口角を上げる。
「あっれーぇ?」
「なんだ、早く枕寄越せ」
言われた言葉に従うように、芯子は枕を一つ取り上げると、けれどそれを手渡すでも投げるでもなく、前に抱えた。そして、可愛らしく小首を傾げると詰まらなそうに唇を尖らせる。
こんな女、か、わ、い、く、な、ん、か、と思うのに、一郎の単純な心臓は早鐘を打つのだからなんだかもう、自分で自分が情けない。
ああ、だって、可愛い。四十も間近の癖に、可愛いのだ。
「……なぁに、角松さん、せっかくお母様がお布団ご用意して下さったのに、あっちでお休みになるんですかぁ? ヨーコ寂しい……」
「バッ……!? 馬鹿言ってないで早く寄越せッ」
この、男タラシが! とうとう叫ぶようにそう言うと、柔和に細められていた芯子の眦がキリリと上がった。強気の瞳がガッツリ一郎を睨む。ちょっとビビる。
「……寄越せ寄越せ言ってないで枕の一つくらい自分で持って、け、っつーの!」
ひっつかまれた枕は、一郎の顔目掛けて綺麗に飛び、その顔面を強か叩いた。
「ブッ……おいこら投げるな!」
「あーもーっさいな、とっとと出、て……ると寒いから、早くお布団入りましょ、ね? シ……一朗さん」
「あ? お前何言って、」
突然声色と喋り方が変わった。角松は、コイツ頭大丈夫か、と訝しむが、芯子が、自分の後ろの誰かに小さく会釈をしたのを見て、動きを止める。誰に? そんなこと、決まっている。
「一朗、明日も早いんだから、早く寝なよ?」
母であった。
途端に、角松の挙動は不振になる。当然だ。普段のように罵倒し合うことは、即ち自分と婚約者の仲を隠し通せなくなること。避けねばならない第一優先事項なのだから。
「か、あちゃ、お、おお、寝るわ! 寝よ寝よ、な、洋子!」
母親の前で『自分の女』とそそくさ一つの布団に入るのもどうかと思うが仕方ない。
「本当に仲いいわねえ」
「はぁい(もっとそっち行け!)」
「お、お休みぃ~(これ以上行けるか馬鹿! ギリギリだわ! お前こそもっとそっち寄れ!)」
小声の言い合いを『もっとこっちに来て』『これ以上行けるか馬鹿! 母親の前だぞ!』とでも取ったのか? それじゃ、私もアテられちゃう前に休みましょ。と、何を想像したのかわからない母は、お休みなさい、と襖を閉めた。
遠ざかる足音、布団の中の二人は、仲良く溜め息を吐き出す。
「で?」
「あ?」
「一緒に寝るわけ?」
「寝るか馬鹿!」
*
*
*
「あっちで寝るんじゃないんですか?」
「出来るわけねえだろ」
(うろ覚え)
「ね、シングルパー……」
「その呼び方止めろ!」
「いちいち叫ばないでくれる……アタマに響く……」
「……なんだ」
ずっと腰を折ったままの体勢でいる角松の頬をもう一度両手で包む。
「アリガトな」
「なんのこ、」
また、最後まで言わせずに、少し頭を浮かせて唇を塞ぐ。
今度は、押し付けるだけではなく、合わせた唇の間から舌も押し入れて、深く。
どうしようかと思案するようだった角松も、そろりと差し出してくる。優しくて、だけど深く。こんなキスも久しぶりだ。
唇を離した。
「……あったまったか……?」
「ばーか……」
まだ寒いっちゅーの。
芯子は、両腕を角松の腰のベルトに回し、えい、と投げて自分の隣に転がした。
「うぉっ! おっまえどこにんな力が……」
折っていた腰をさすりながら、狭いシングルベッドの上でそう呟いた角松が固まる。二人が密着して、少し幅が余る程度の広さしかないそこで、芯子がすり寄ったのだ。
「……いちろーさん」
「え」
「添い寝、して?」
柔らかな身体がぴったりと角松に合わさって、外されたボタンの隙間から芯子の吐息が掛かった。
硬直している角松の胸に縋るように、身を縮こませた芯子が、一つぶるりと震える。
「……」
腕にその震えを感じた角松は、掛け布団を二人に掛かるように直すとそうっと芯子の身体を抱き寄せた。
「熱いな」
「アタシは寒ぃの」
「……今だけだ」
「ん……」
「寝ちまえ、もう」
「……おきるまで、放さないでて」
「わーかったから」
言葉と同時に少し強く抱きしめられて、速く脈打つ角松の心臓の音を聴きながら芯子は目を閉じた。
(今だけだ)
寒いのも、温もりが欲しいと思うのも、誰でもない角松一郎に抱きしめていて欲しいのも、今だけ。
ただ、弱ってる時に傍にいたから、縋ってるだけ。治ったら、今この時を忘れるって約束するから、だから。
-芯子さん、好きです-
(今、この間だけ、)
真摯な告白を、芯子は今だけ頭からそっと追いやって、寒さごと包んでくれるひどく優しく暖かな腕の中、芯子は微睡み、寝息を立てた。
角松は、穏やかに寝入る芯子の髪を撫でて思案するようにじっとその女を見つめた。
朝から体調を崩しているのはわかっていた。覇気がなかったし、いつも以上に集中力も欠けていた。まさか、いきなり倒れるとは思わなかったが、調査にも連れ出して無理をさせたとも思う。ただ、ふとした瞬間に何かを思い詰めたように遠くなる視線を、どうしても見ていられなかったのだ。
自分は二人には関係ないと頭では理解しているのに、工藤優の告白はあまりに衝撃的だった。あれから角松の睡眠時間も削られている。『洋子』相手なら素直になれるのに『堤芯子』だと思うとどうにも見栄を張ってしまう。まるで子供だ。
「……芯子」
今だけだと角松は縋る芯子にそう言ったが、その言葉は、自分に向けた言葉でもある。コイツが素直に俺に縋るのは、きっと今だけ。
……芯子が寝ている今なら、俺も素直になれるだろうか。
「……俺さ、騙されても、馬鹿にされても、」
意識が薄れて、自分も寝そうだ。久しぶりにいい夢が見られるだろうか。
角松は、唇を芯子の耳に寄せる。
「……やっぱお前のこと、好きだわ」
『ん~マジで?』そんな反応一つ返らない、独白めいた告白。
これはただの自己満足で、云うつもりのない角松の秘密。
そして、云われなければ知るつもりのない、芯子の秘密。
起きればいつもの通り、変わらない二人が在る筈で、だから、今だけ。
合い言葉のように心でなぞると、二人は互いに、いい夢を、と願うのだった。
「その呼び方止めろ!」
「いちいち叫ばないでくれる……アタマに響く……」
「……なんだ」
ずっと腰を折ったままの体勢でいる角松の頬をもう一度両手で包む。
「アリガトな」
「なんのこ、」
また、最後まで言わせずに、少し頭を浮かせて唇を塞ぐ。
今度は、押し付けるだけではなく、合わせた唇の間から舌も押し入れて、深く。
どうしようかと思案するようだった角松も、そろりと差し出してくる。優しくて、だけど深く。こんなキスも久しぶりだ。
唇を離した。
「……あったまったか……?」
「ばーか……」
まだ寒いっちゅーの。
芯子は、両腕を角松の腰のベルトに回し、えい、と投げて自分の隣に転がした。
「うぉっ! おっまえどこにんな力が……」
折っていた腰をさすりながら、狭いシングルベッドの上でそう呟いた角松が固まる。二人が密着して、少し幅が余る程度の広さしかないそこで、芯子がすり寄ったのだ。
「……いちろーさん」
「え」
「添い寝、して?」
柔らかな身体がぴったりと角松に合わさって、外されたボタンの隙間から芯子の吐息が掛かった。
硬直している角松の胸に縋るように、身を縮こませた芯子が、一つぶるりと震える。
「……」
腕にその震えを感じた角松は、掛け布団を二人に掛かるように直すとそうっと芯子の身体を抱き寄せた。
「熱いな」
「アタシは寒ぃの」
「……今だけだ」
「ん……」
「寝ちまえ、もう」
「……おきるまで、放さないでて」
「わーかったから」
言葉と同時に少し強く抱きしめられて、速く脈打つ角松の心臓の音を聴きながら芯子は目を閉じた。
(今だけだ)
寒いのも、温もりが欲しいと思うのも、誰でもない角松一郎に抱きしめていて欲しいのも、今だけ。
ただ、弱ってる時に傍にいたから、縋ってるだけ。治ったら、今この時を忘れるって約束するから、だから。
-芯子さん、好きです-
(今、この間だけ、)
真摯な告白を、芯子は今だけ頭からそっと追いやって、寒さごと包んでくれるひどく優しく暖かな腕の中、芯子は微睡み、寝息を立てた。
角松は、穏やかに寝入る芯子の髪を撫でて思案するようにじっとその女を見つめた。
朝から体調を崩しているのはわかっていた。覇気がなかったし、いつも以上に集中力も欠けていた。まさか、いきなり倒れるとは思わなかったが、調査にも連れ出して無理をさせたとも思う。ただ、ふとした瞬間に何かを思い詰めたように遠くなる視線を、どうしても見ていられなかったのだ。
自分は二人には関係ないと頭では理解しているのに、工藤優の告白はあまりに衝撃的だった。あれから角松の睡眠時間も削られている。『洋子』相手なら素直になれるのに『堤芯子』だと思うとどうにも見栄を張ってしまう。まるで子供だ。
「……芯子」
今だけだと角松は縋る芯子にそう言ったが、その言葉は、自分に向けた言葉でもある。コイツが素直に俺に縋るのは、きっと今だけ。
……芯子が寝ている今なら、俺も素直になれるだろうか。
「……俺さ、騙されても、馬鹿にされても、」
意識が薄れて、自分も寝そうだ。久しぶりにいい夢が見られるだろうか。
角松は、唇を芯子の耳に寄せる。
「……やっぱお前のこと、好きだわ」
『ん~マジで?』そんな反応一つ返らない、独白めいた告白。
これはただの自己満足で、云うつもりのない角松の秘密。
そして、云われなければ知るつもりのない、芯子の秘密。
起きればいつもの通り、変わらない二人が在る筈で、だから、今だけ。
合い言葉のように心でなぞると、二人は互いに、いい夢を、と願うのだった。