漫画・小説・演劇・ドラマ、ジャンルも媒体も男も女も関係なく、腐った可愛そうな頭の人間が雑多に書き散らすネタ帳です。 ていうかあれだ。サイトに載せる前の繋ぎみたいな。
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黄豚@暁光に帰す
コンコン、と、鉄の扉を叩く音がした。出にくい声をそれでも張って、はい、と返事をすれば引き戸が開かれる。
「……くるコメ……」
酷く押し殺したような声が、久方振りに鼓膜を打つ。最後にあったのは、いつだったか。もう流れる年月すら外の出来事になってしまって、時間すら曖昧で。
「待って、いたよ……」
その曖昧に永い時を、ただ君に逢うために生きた。
暁光に帰す
「……痩せたな」
「まあ、座りたまえ……」
そう、扉を開けた女性を促せば、彼女は唇を噛み締めながらベッドの脇の椅子に腰掛けた。
記憶にあるよりも、面差しが柔和になったように感じる。いい歳の重ね方をしているのだろう。
「ひさ……久しぶりだね」
掠れる声は聞きにくいだろうが、どうにも出来ない。それでも痰の絡んだ喉を震わせて、声を出す。
「……アンタにまた会うとは、な」
「なぜ、……来てくれたのかな」
「……呼んだの、アンタのくせに。あーったく、アンタのせいでアタシ、自首することになったんだよな」
返答は的を外していたが、それでもいい。彼女があの日切り捨てた自分との『会話』が今、続いている。
「どちらにしろ、自首はするつもりだったように思うがね……」
彼女は。
堤芯子は、自分が思っていたよりもずっと潔い女性だった。自分は世の中を牛耳るつもりでいたにも関わらず世の中の様子を知らずにいたことで、見事に潰された。彼女自身への脅しは意味をなさないことはわかっていた、それ故にあの課長補佐を、否、彼女以外の二係を彼女の安全を確保することによって操作しようとしたのだ。それも彼女の彼女たる信念にはやはり、無意味であったけれど。
そんな日々さえ懐かしい。
ふーっと息をついた彼女が、口を開く。
「アンタさあ、命を救われたとかなんとか言ってただろ。なんか勘違いしてそうだからゆっとくけど、それ、アタシじゃないから。自分でもっとよく探したほーがいーんじゃない? って言いに来た。これが今日きた理由」
で、アンタは何でアタシを呼んだの、と、問われる。
「……私は、ガンでね。末期だ……先も長くない」
「……」
「君にもう一度だけ会いたかった……それが、理由だ」
「……生きることを諦めるんだ」
「はは……もう、充分だ……充分」
命を捨てるなんて贅沢だ、と言った少女が居た。その言葉に、その少女に、救われた自分がいた。彼女は勘違いといったが、それでも構わない。自分にとってのあの少女は、紛れもなく目の前の彼女なのだから。
……ふと、気になった。
「……君は、今も会検で……?」
「ま……一応籍は置いてるけど? なんで」
「……茶々君に君に会いたい旨を伝えた時に……少し難しい顔をされてね……」
「ああ……そ」
もう居ないのかと思ったのだ、と言うと、続いてるけど、が返る。彼女にしては煮え切らない反応だ。
「他の面々も、元気かな……?」
「……優もそーめんかぼちゃも元気だよ。優は自分の力でなんかちょっと上に行ったけど、ちょくちょく会ってるし、そーめんかぼちゃは主任になったな。マメも元気だけど娘さんが反抗期って嘆いてる。……もー片方のシングルパーも、そこそこ、な」
新しい奴が一人入ったけどコイツがまたせーぎせーぎ五月蝿いんだ、と、彼女が笑った。
「……笑ってくれたね」
「は?」
面食らったような顔をした彼女に、自分も少し笑う。
「……あのさ、アタシはまだアンタを許せないし、これからも許せる日は来ないかも知れない。つか、来ないね」
「……だろうなあ……残念だが……」
「でも、一個だけ礼言っとくよ。……アタシをカイケンに呼んでくれたこと。アリガトさん」
今度は、此方が目を見開く番だった。
蓮っ葉な彼女の言動が少しだけ大人びたようだ。
「んじゃ、アタシはこれでお暇するか、な」
「ああ……ありがとう」
堤、芯子くん。
その言葉に、少しだけ彼女の目がきょろきょろと動いた。何かを言おうか言うまいか迷うような顔。
「何か?」
「……あー……アタシ、堤じゃないんだよな」
「うん?」
「……苗字、堤じゃなくて……」
「……結婚したのかい?」
「ん……」
こんなんでも、いちおーな。
そう言って笑った彼女は、記憶のどれに残る顔より、幸せに満ちたそれをしていた。
「ま、また来る時があったらそん時に、な」
「……ああ、そうだね……それでは」
「ん、じゃーな」
再び会うことはもう叶わないだろう。けれど、これでいい、とそう思った。
彼女が重い鉄の引き戸に手をかけ、そのまま、あー、と唸る。
「……くるコメ、アタシ、アンタを許せないけど」
別に嫌いじゃなかったよ。
扉が閉まった。パタン、と小さなゴムの音だけを残して。
彼女の出て行った扉を、暫くの間見つめていた。脇にあるナースコールを震える指で押し込めば、ワンコール、ツーコール、スリーコール目で『はい、どうしました?』と、看護師の声が聞こえる。
「……すみませんが、少し外が見たいんだ……お願い出来るかな……?」
※※※
病院を出て足早に歩く芯子。道の途中に据えてあるベンチから、その姿を見つけてはしゃく小さな子どもが居た。抱かれているにも関わらず、抱いている男をばしばしと小さな手でもって叩く。
「まぁー!」
それまでおとなしかった子が突然必死になって手を伸ばす様子に、クルクルパーマも振り向いた。芯子の姿を認めた一郎は叩かれながらもその口角を上げる。
「……お、おかえり……イッテェ! こら、パパを叩くな!」
「ただーいま。ほれ、母ちゃんとこおいで……っと」
大暴れする我が子に苦戦する一郎に、芯子が手を伸ばした。子どもの脇に手を差し入れて慣れた手つきでひょいと抱き上げる。
「いー子してたか?」
きゃっきゃと笑う子を抱き締めると、一郎が苦笑しながら溜め息をつく。さんざん髪の毛を弄ばれたのだろう。一郎があやす時はいつもそうだから。
「……どうだった? 久留米さんは」
「あー……がんだってさ。本人が言ってたよ」
「そうか……。何話した?」
「うん? んーとね……アンタが救われたっつってた話の女の子はアタシじゃないよ、って話とかー」
「お前なのに?」
「……あと、苗字が変わったって話とか」
一郎が噴き出す。
「結局言ったんか。あんだけ言わないっつってたくせに」
「でも! 誰とーとは言って、ない」
「……お前の優しさは伝わりにくいんだよ」
一郎の手が、芯子の頭を撫でた。
あの時芯子達の挫いた悪は、言い意味でも悪い意味でも久留米の生きがいだった。後悔など勿論ないが、それでも芯子には思うところがあったのだろう。
「……もし又今度があったら、そん時は、教えてやるよ」
「だな……。……おーおー寒いな! さっき工藤からメールがあってな、鉄っちゃんと一緒に年増園に居るってさ」
「昼から酒浸りか、お大臣だねーえ」
「鉄っちゃんがみぞれちゃんに会うための口実だろ」
先をスタスタ歩く芯子を見ながら、一郎はちらりと後ろに聳える病院を見る。もしあの時に久留米があの国家予算を手にしていたら、こんな病院ではなくもっと豪奢なところで余生を過ごしていたのかもしれない。
と、一郎が見上げた先にこちらを眺める影が一つ。あまりよくは見えないが、記憶にあるよりも大分痩せたその姿。
久留米だった。
一郎が小さく会釈をすれば、窓の向こうの人も頷くように返してくる。
一郎は、踵を返した。
「ってお前、歩くの早えーよ!」
「あー? アンタが遅いんだっちゅーの。早く来な」
※※※
窓から離れた久留米は、座り込んだ車椅子の上で微笑んだ。
「彼だったか……」
彼女が彼から取り上げて抱えたのは、恐らく彼らの子どもだろう。否、違っても構わない。己にとって倖せな夢であればいい。
「時代は、進んでいる……か」
とっとと若者に託せ、と言われた言葉が蘇った。
日本は、死ぬかもしれない。けれど、生きるかもしれない可能性があるならば、老害は矢張り朽ちるべきだろう。もう、思い残すこともない。
「ああ……一つだけ」
※※※
二係の面々が駆け込んだ時、久留米の命は尽きる寸前だった。それでも、なんとか生き繋いでいる。
「くるコメ……」
『久留米さんが、末期には君を呼んで欲しいと言っていたんだ。来てくれるかね』
茶々に呼ばれた芯子は、久留米の傍に寄る。
「……なんだよ、アタシを呼んでって」
「……」
芯子の後ろでは、一郎、工藤、明珍、金田が息を飲んでその様子を窺っている。
薄い息遣い。芯子がそこに耳を寄せると、微かな音が聞こえた。
お、め、で、と、う
「……っ」
「芯子……?」
口を引き結んだ芯子の手を、一郎が握る。
その手と、それから、芯子の頬に流れた一筋を見て、久留米は最期に笑みを浮かべた。
窓からは眩い光明が差し込む。
夜が沈み、新しい日の昇る、ある冬のことだった。
「……くるコメ……」
酷く押し殺したような声が、久方振りに鼓膜を打つ。最後にあったのは、いつだったか。もう流れる年月すら外の出来事になってしまって、時間すら曖昧で。
「待って、いたよ……」
その曖昧に永い時を、ただ君に逢うために生きた。
暁光に帰す
「……痩せたな」
「まあ、座りたまえ……」
そう、扉を開けた女性を促せば、彼女は唇を噛み締めながらベッドの脇の椅子に腰掛けた。
記憶にあるよりも、面差しが柔和になったように感じる。いい歳の重ね方をしているのだろう。
「ひさ……久しぶりだね」
掠れる声は聞きにくいだろうが、どうにも出来ない。それでも痰の絡んだ喉を震わせて、声を出す。
「……アンタにまた会うとは、な」
「なぜ、……来てくれたのかな」
「……呼んだの、アンタのくせに。あーったく、アンタのせいでアタシ、自首することになったんだよな」
返答は的を外していたが、それでもいい。彼女があの日切り捨てた自分との『会話』が今、続いている。
「どちらにしろ、自首はするつもりだったように思うがね……」
彼女は。
堤芯子は、自分が思っていたよりもずっと潔い女性だった。自分は世の中を牛耳るつもりでいたにも関わらず世の中の様子を知らずにいたことで、見事に潰された。彼女自身への脅しは意味をなさないことはわかっていた、それ故にあの課長補佐を、否、彼女以外の二係を彼女の安全を確保することによって操作しようとしたのだ。それも彼女の彼女たる信念にはやはり、無意味であったけれど。
そんな日々さえ懐かしい。
ふーっと息をついた彼女が、口を開く。
「アンタさあ、命を救われたとかなんとか言ってただろ。なんか勘違いしてそうだからゆっとくけど、それ、アタシじゃないから。自分でもっとよく探したほーがいーんじゃない? って言いに来た。これが今日きた理由」
で、アンタは何でアタシを呼んだの、と、問われる。
「……私は、ガンでね。末期だ……先も長くない」
「……」
「君にもう一度だけ会いたかった……それが、理由だ」
「……生きることを諦めるんだ」
「はは……もう、充分だ……充分」
命を捨てるなんて贅沢だ、と言った少女が居た。その言葉に、その少女に、救われた自分がいた。彼女は勘違いといったが、それでも構わない。自分にとってのあの少女は、紛れもなく目の前の彼女なのだから。
……ふと、気になった。
「……君は、今も会検で……?」
「ま……一応籍は置いてるけど? なんで」
「……茶々君に君に会いたい旨を伝えた時に……少し難しい顔をされてね……」
「ああ……そ」
もう居ないのかと思ったのだ、と言うと、続いてるけど、が返る。彼女にしては煮え切らない反応だ。
「他の面々も、元気かな……?」
「……優もそーめんかぼちゃも元気だよ。優は自分の力でなんかちょっと上に行ったけど、ちょくちょく会ってるし、そーめんかぼちゃは主任になったな。マメも元気だけど娘さんが反抗期って嘆いてる。……もー片方のシングルパーも、そこそこ、な」
新しい奴が一人入ったけどコイツがまたせーぎせーぎ五月蝿いんだ、と、彼女が笑った。
「……笑ってくれたね」
「は?」
面食らったような顔をした彼女に、自分も少し笑う。
「……あのさ、アタシはまだアンタを許せないし、これからも許せる日は来ないかも知れない。つか、来ないね」
「……だろうなあ……残念だが……」
「でも、一個だけ礼言っとくよ。……アタシをカイケンに呼んでくれたこと。アリガトさん」
今度は、此方が目を見開く番だった。
蓮っ葉な彼女の言動が少しだけ大人びたようだ。
「んじゃ、アタシはこれでお暇するか、な」
「ああ……ありがとう」
堤、芯子くん。
その言葉に、少しだけ彼女の目がきょろきょろと動いた。何かを言おうか言うまいか迷うような顔。
「何か?」
「……あー……アタシ、堤じゃないんだよな」
「うん?」
「……苗字、堤じゃなくて……」
「……結婚したのかい?」
「ん……」
こんなんでも、いちおーな。
そう言って笑った彼女は、記憶のどれに残る顔より、幸せに満ちたそれをしていた。
「ま、また来る時があったらそん時に、な」
「……ああ、そうだね……それでは」
「ん、じゃーな」
再び会うことはもう叶わないだろう。けれど、これでいい、とそう思った。
彼女が重い鉄の引き戸に手をかけ、そのまま、あー、と唸る。
「……くるコメ、アタシ、アンタを許せないけど」
別に嫌いじゃなかったよ。
扉が閉まった。パタン、と小さなゴムの音だけを残して。
彼女の出て行った扉を、暫くの間見つめていた。脇にあるナースコールを震える指で押し込めば、ワンコール、ツーコール、スリーコール目で『はい、どうしました?』と、看護師の声が聞こえる。
「……すみませんが、少し外が見たいんだ……お願い出来るかな……?」
※※※
病院を出て足早に歩く芯子。道の途中に据えてあるベンチから、その姿を見つけてはしゃく小さな子どもが居た。抱かれているにも関わらず、抱いている男をばしばしと小さな手でもって叩く。
「まぁー!」
それまでおとなしかった子が突然必死になって手を伸ばす様子に、クルクルパーマも振り向いた。芯子の姿を認めた一郎は叩かれながらもその口角を上げる。
「……お、おかえり……イッテェ! こら、パパを叩くな!」
「ただーいま。ほれ、母ちゃんとこおいで……っと」
大暴れする我が子に苦戦する一郎に、芯子が手を伸ばした。子どもの脇に手を差し入れて慣れた手つきでひょいと抱き上げる。
「いー子してたか?」
きゃっきゃと笑う子を抱き締めると、一郎が苦笑しながら溜め息をつく。さんざん髪の毛を弄ばれたのだろう。一郎があやす時はいつもそうだから。
「……どうだった? 久留米さんは」
「あー……がんだってさ。本人が言ってたよ」
「そうか……。何話した?」
「うん? んーとね……アンタが救われたっつってた話の女の子はアタシじゃないよ、って話とかー」
「お前なのに?」
「……あと、苗字が変わったって話とか」
一郎が噴き出す。
「結局言ったんか。あんだけ言わないっつってたくせに」
「でも! 誰とーとは言って、ない」
「……お前の優しさは伝わりにくいんだよ」
一郎の手が、芯子の頭を撫でた。
あの時芯子達の挫いた悪は、言い意味でも悪い意味でも久留米の生きがいだった。後悔など勿論ないが、それでも芯子には思うところがあったのだろう。
「……もし又今度があったら、そん時は、教えてやるよ」
「だな……。……おーおー寒いな! さっき工藤からメールがあってな、鉄っちゃんと一緒に年増園に居るってさ」
「昼から酒浸りか、お大臣だねーえ」
「鉄っちゃんがみぞれちゃんに会うための口実だろ」
先をスタスタ歩く芯子を見ながら、一郎はちらりと後ろに聳える病院を見る。もしあの時に久留米があの国家予算を手にしていたら、こんな病院ではなくもっと豪奢なところで余生を過ごしていたのかもしれない。
と、一郎が見上げた先にこちらを眺める影が一つ。あまりよくは見えないが、記憶にあるよりも大分痩せたその姿。
久留米だった。
一郎が小さく会釈をすれば、窓の向こうの人も頷くように返してくる。
一郎は、踵を返した。
「ってお前、歩くの早えーよ!」
「あー? アンタが遅いんだっちゅーの。早く来な」
※※※
窓から離れた久留米は、座り込んだ車椅子の上で微笑んだ。
「彼だったか……」
彼女が彼から取り上げて抱えたのは、恐らく彼らの子どもだろう。否、違っても構わない。己にとって倖せな夢であればいい。
「時代は、進んでいる……か」
とっとと若者に託せ、と言われた言葉が蘇った。
日本は、死ぬかもしれない。けれど、生きるかもしれない可能性があるならば、老害は矢張り朽ちるべきだろう。もう、思い残すこともない。
「ああ……一つだけ」
※※※
二係の面々が駆け込んだ時、久留米の命は尽きる寸前だった。それでも、なんとか生き繋いでいる。
「くるコメ……」
『久留米さんが、末期には君を呼んで欲しいと言っていたんだ。来てくれるかね』
茶々に呼ばれた芯子は、久留米の傍に寄る。
「……なんだよ、アタシを呼んでって」
「……」
芯子の後ろでは、一郎、工藤、明珍、金田が息を飲んでその様子を窺っている。
薄い息遣い。芯子がそこに耳を寄せると、微かな音が聞こえた。
お、め、で、と、う
「……っ」
「芯子……?」
口を引き結んだ芯子の手を、一郎が握る。
その手と、それから、芯子の頬に流れた一筋を見て、久留米は最期に笑みを浮かべた。
窓からは眩い光明が差し込む。
夜が沈み、新しい日の昇る、ある冬のことだった。
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