漫画・小説・演劇・ドラマ、ジャンルも媒体も男も女も関係なく、腐った可愛そうな頭の人間が雑多に書き散らすネタ帳です。 ていうかあれだ。サイトに載せる前の繋ぎみたいな。
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派遣の仕事をしている時は、カンタンテに住まわせてもらっていた。食事は、自分で作ったり、眉子ママが作ってくれたり。パエリアを作ると、大抵余ってリュートのご飯になったりして。
洗濯、掃除は自分でしていた。
スペインでは、みんなとその日暮らし。ゆったりとした時間の中で、それでも自分のことは大体自分でしていた。
一人で生きていけるだけのスキルは身につけた。誰にも頼らないで、自立しないといけないと思っていた。その為に、必死になった。
一人だって、全然構わない。生きていける。それが、何か?
それでも、春子にはいつだって『おかえり』を言ってくれる人が必ず、いた。
※※※
営業所から歩いて二十分足らずの住宅密集地。そこに、今の春子の住まいはある。十九時五十分、今日も定時の帰宅とはいかなかった。
春子は鍵穴に鍵を差し込みドアを開けると、体を滑り込ませて玄関の電気を探った。カチャン、と鍵を閉めて、チェーンも掛ける。
ひんやりした廊下を通り、リビング兼寝室の電気も点けた。
入居した時から置いてある据付の家具以外には、殆ど物のない殺風景な部屋。テレビをつける気にはならず、とりあえず手洗いうがいをして部屋着に着替えると、ベッドに沈んだ。
(ご飯……どうしようかなあ……)
簡単に出来るもの……。
適当に何か……。
(……お腹、あんまりすいてないんだ)
料理は好き。美味しいものを美味しく食べるのが好きだから、自分でも美味しいものを作れたら、と思う。誰かが食べてくれて、美味しい、と言ってくれたら、とても嬉しい。
ただそれを、自分一人のために作る気にはなれない。
カンタンテに居た時には、自分の好きな物を好きな時に好きなだけ作って食べていたような気がしていたのだけれど、考えてみれば春子一人で食べきることの出来る量だけちまちま作っていたことはなかった。
余ってしまっても誰かが食べてくれる、そう思って作った料理だった。
誰か、が必ず近くに居た。
(……私らしくもない)
別に、誰かが居る生活が酷く恋しいわけじゃない。ただ、自分は思った以上に人に依存していたのだと気付かされて、人の居ない新しい生活に少し戸惑っているだけ。
(……あの人はちゃんと食べているんだろうか)
一人暮らしは春子よりもずっと長い人。料理をするイメージはあまり、というか全然ないけれど、実際はどうだろう。やっぱり、外食か出来合いのもので済ませていそう。
春子が名古屋に来て、もう直ぐ一ヶ月が経とうとしている。その間に春子個人が東海林に出来たことなんて何もない。
何が出来るだろう。
何が出来るというのだろう。
これなら、同じ名古屋に来るのでも東海林の私生活に介入した方が良かったような気すらしてくる。そうすれば少なくとも、料理を作ってあげる位は出来た。
朝、東海林を起こして、朝ご飯を食べさせて会社へ送り出す。
お昼はお弁当を持たせて、夕飯は何がいいか考えて、作って、帰りを待つ。
帰ってきたら愚痴なんか聞きながら、沸かしたお風呂に追いやって、出て来たら一緒にご飯を食べて。
今の、仕事でもプライベートでも手助けの難しい状況とはかけ離れた暮らし。
そんな考え、来た当初は微塵もなかったのに。
ただただ、東海林が本社に戻れるような手助けを、『仕事』からサポートしたい。それしか考えていなかったのに。
(東海林武、あなたはどっちが良かった……?)
ベッドの前の小さな卓上には、携帯電話。
それを掛けることも出来ないまま、また、それが震えることもないままで、結局春子はそのまま瞳を閉じた。
※※※
春子が目を覚ますと、インターフォンが鳴っていた。時計を見れば、二十一時。こんな夜に誰だろうか。
ノロノロと体を起こした春子は、テレビをつけると携帯を片手に、インターフォンの受話器は取らずに玄関まで足を運ぶ。
玄関の電気はついているから中に人が居ることは外の小窓から見て判っているかも知れないが、こちらが小窓から覗いて、明らかな不審者であれば開けなければいい。
覗いた小窓から見えたのは。
「……土屋さん?」
一応チェーンは掛けたままで上下の鍵を開ける。これまで、土屋が隣人である春子の家に来ることはなかった。何か緊急の用事だろうか?
「はい……」
「あ、春ちゃん、俺。土屋だけどさ」
「何かご用でしょうか?」
「や、用っていうか……ええと、晩飯作ってたら、ちょっと作りすぎて……お裾分けって程もねえんだけど、良ければ食べて欲しいと思って……め、迷惑だったか?」
「……」
迷惑だ。そう言おうかと思った。けれど、作ったものをお裾分けといって持ってくるくらいだ。味には多少自信はあるのだろう。そして、この土屋とて春子よりは一人暮らしの期間は長い、と思われる。そんな土屋が、自分の食べる分以外、他人に分ける程多く作ってしまったりするだろうか? 考えられなくはないけれど、むしろ、春子の分も余分に作ったと考える方が自然な気が……否、流石に深読みし過ぎか。
何にしろ先程まで、誰かが自分の作ってくれた料理を食べてくれたら嬉しい、とそんなことを考えていた春子は、なんとなく、その好意を断ることが出来なかった。
「……少々お待ちください」
春子は、一度扉を閉めるとチェーンを外す。
再びその扉を押すと、タッパーを持った土屋の全身がよく見えた。
「これ」
「わざわざ、ありがとうございます」
渡されたタッパーウェアを受け取ると、暫しの沈黙。
土屋が、口を開いた。少しでもこの時間を延ばそうとするかのように。
「……あ、あのよぉ……春ちゃんて、此処来る前って何の仕事してたんだ?」
「は?」
突飛な質問に、春子は思わず眉をひそめて聞き返す。
「いや、だって、事務とドライバーの兼務なんて普通しないだろ?」
「私が兼務することで何か、業務に支障を来していますか?」
もし何か思うところがあれば言ってくれ、というと、土屋は首を振る。
「いや、そんな意味じゃなくて、あー…その、個人的興味っつか」
前の仕事、とは何を指すのだろうか。春子がこの名古屋営業所に来る切欠となったのは確実にS&F本社での派遣業務だけれど、まさかそれをそのまま言うつもりはなかった。
だってそれではあまりに露骨に、春子が東海林を追ってきたようではないか。それはなんだか、ムカつく。実際その通りだったとしても、だ。
しかし、春子には、東海林であれば営業マン、土屋であればドライバー、というような、この仕事、といえる仕事は特にない。
「私の持つスキルで出来得る仕事をして来ました」
「スキルって、資格か何かか?」
「はい」
そっか、と、泳ぐ土屋の視線。……他に何か言いたいことでもあるのだろうか? そうも思ったが春子は返事だけすると、一拍置いて、では、と続けた。
「……土屋さん、お裾分け、ありがとうございます」
「あ、いやどう致しまして……」
打ち切られた会話に名残惜しげに返す土屋と、これ以上続けるべき話は春子にはなかった。むしろ、職場の人間との会話であることを考えれば続いた方だろう。
「では、また明日。……おやすみなさい」
「おやすみ……」
閉じられた扉の外で小さく息をついた土屋は、頭を掻いて自分の部屋へと戻っていった。
春子は施錠して台所へ行くと、まだ暖かいタッパーを開ける。中には、仄かに湯気のたつ肉じゃが。
「肉じゃが……か」
もっと豪快な料理を作りそうなのに。意外だ。
そう思って、少し微笑う。
(……あの人は……東海林武は、何が好きなんだろう)
そういえばよく知らない。いつも焼きそばパンを筆頭に色々な惣菜パンをかじりながらパソコンに向かっているけれど。
他でちゃんと、栄養をとっているんだろうか。
温かいご飯が、恋しくならないんだろうか。
私がもし主婦のように東海林武を支えていたら、なんてそんなこと、考えても仕方ないのだろう。春子が、春子自身の意思で選んだのは、あの人が一番苦しんでいる場所であの人の支えになることだったのだから。
だから、春子は今、ぶれるわけには行かない。
ただ。
(もう少し素直になってみても)
いいかもしれない。
肉じゃがをつつきながら、そう思った。
洗濯、掃除は自分でしていた。
スペインでは、みんなとその日暮らし。ゆったりとした時間の中で、それでも自分のことは大体自分でしていた。
一人で生きていけるだけのスキルは身につけた。誰にも頼らないで、自立しないといけないと思っていた。その為に、必死になった。
一人だって、全然構わない。生きていける。それが、何か?
それでも、春子にはいつだって『おかえり』を言ってくれる人が必ず、いた。
※※※
営業所から歩いて二十分足らずの住宅密集地。そこに、今の春子の住まいはある。十九時五十分、今日も定時の帰宅とはいかなかった。
春子は鍵穴に鍵を差し込みドアを開けると、体を滑り込ませて玄関の電気を探った。カチャン、と鍵を閉めて、チェーンも掛ける。
ひんやりした廊下を通り、リビング兼寝室の電気も点けた。
入居した時から置いてある据付の家具以外には、殆ど物のない殺風景な部屋。テレビをつける気にはならず、とりあえず手洗いうがいをして部屋着に着替えると、ベッドに沈んだ。
(ご飯……どうしようかなあ……)
簡単に出来るもの……。
適当に何か……。
(……お腹、あんまりすいてないんだ)
料理は好き。美味しいものを美味しく食べるのが好きだから、自分でも美味しいものを作れたら、と思う。誰かが食べてくれて、美味しい、と言ってくれたら、とても嬉しい。
ただそれを、自分一人のために作る気にはなれない。
カンタンテに居た時には、自分の好きな物を好きな時に好きなだけ作って食べていたような気がしていたのだけれど、考えてみれば春子一人で食べきることの出来る量だけちまちま作っていたことはなかった。
余ってしまっても誰かが食べてくれる、そう思って作った料理だった。
誰か、が必ず近くに居た。
(……私らしくもない)
別に、誰かが居る生活が酷く恋しいわけじゃない。ただ、自分は思った以上に人に依存していたのだと気付かされて、人の居ない新しい生活に少し戸惑っているだけ。
(……あの人はちゃんと食べているんだろうか)
一人暮らしは春子よりもずっと長い人。料理をするイメージはあまり、というか全然ないけれど、実際はどうだろう。やっぱり、外食か出来合いのもので済ませていそう。
春子が名古屋に来て、もう直ぐ一ヶ月が経とうとしている。その間に春子個人が東海林に出来たことなんて何もない。
何が出来るだろう。
何が出来るというのだろう。
これなら、同じ名古屋に来るのでも東海林の私生活に介入した方が良かったような気すらしてくる。そうすれば少なくとも、料理を作ってあげる位は出来た。
朝、東海林を起こして、朝ご飯を食べさせて会社へ送り出す。
お昼はお弁当を持たせて、夕飯は何がいいか考えて、作って、帰りを待つ。
帰ってきたら愚痴なんか聞きながら、沸かしたお風呂に追いやって、出て来たら一緒にご飯を食べて。
今の、仕事でもプライベートでも手助けの難しい状況とはかけ離れた暮らし。
そんな考え、来た当初は微塵もなかったのに。
ただただ、東海林が本社に戻れるような手助けを、『仕事』からサポートしたい。それしか考えていなかったのに。
(東海林武、あなたはどっちが良かった……?)
ベッドの前の小さな卓上には、携帯電話。
それを掛けることも出来ないまま、また、それが震えることもないままで、結局春子はそのまま瞳を閉じた。
※※※
春子が目を覚ますと、インターフォンが鳴っていた。時計を見れば、二十一時。こんな夜に誰だろうか。
ノロノロと体を起こした春子は、テレビをつけると携帯を片手に、インターフォンの受話器は取らずに玄関まで足を運ぶ。
玄関の電気はついているから中に人が居ることは外の小窓から見て判っているかも知れないが、こちらが小窓から覗いて、明らかな不審者であれば開けなければいい。
覗いた小窓から見えたのは。
「……土屋さん?」
一応チェーンは掛けたままで上下の鍵を開ける。これまで、土屋が隣人である春子の家に来ることはなかった。何か緊急の用事だろうか?
「はい……」
「あ、春ちゃん、俺。土屋だけどさ」
「何かご用でしょうか?」
「や、用っていうか……ええと、晩飯作ってたら、ちょっと作りすぎて……お裾分けって程もねえんだけど、良ければ食べて欲しいと思って……め、迷惑だったか?」
「……」
迷惑だ。そう言おうかと思った。けれど、作ったものをお裾分けといって持ってくるくらいだ。味には多少自信はあるのだろう。そして、この土屋とて春子よりは一人暮らしの期間は長い、と思われる。そんな土屋が、自分の食べる分以外、他人に分ける程多く作ってしまったりするだろうか? 考えられなくはないけれど、むしろ、春子の分も余分に作ったと考える方が自然な気が……否、流石に深読みし過ぎか。
何にしろ先程まで、誰かが自分の作ってくれた料理を食べてくれたら嬉しい、とそんなことを考えていた春子は、なんとなく、その好意を断ることが出来なかった。
「……少々お待ちください」
春子は、一度扉を閉めるとチェーンを外す。
再びその扉を押すと、タッパーを持った土屋の全身がよく見えた。
「これ」
「わざわざ、ありがとうございます」
渡されたタッパーウェアを受け取ると、暫しの沈黙。
土屋が、口を開いた。少しでもこの時間を延ばそうとするかのように。
「……あ、あのよぉ……春ちゃんて、此処来る前って何の仕事してたんだ?」
「は?」
突飛な質問に、春子は思わず眉をひそめて聞き返す。
「いや、だって、事務とドライバーの兼務なんて普通しないだろ?」
「私が兼務することで何か、業務に支障を来していますか?」
もし何か思うところがあれば言ってくれ、というと、土屋は首を振る。
「いや、そんな意味じゃなくて、あー…その、個人的興味っつか」
前の仕事、とは何を指すのだろうか。春子がこの名古屋営業所に来る切欠となったのは確実にS&F本社での派遣業務だけれど、まさかそれをそのまま言うつもりはなかった。
だってそれではあまりに露骨に、春子が東海林を追ってきたようではないか。それはなんだか、ムカつく。実際その通りだったとしても、だ。
しかし、春子には、東海林であれば営業マン、土屋であればドライバー、というような、この仕事、といえる仕事は特にない。
「私の持つスキルで出来得る仕事をして来ました」
「スキルって、資格か何かか?」
「はい」
そっか、と、泳ぐ土屋の視線。……他に何か言いたいことでもあるのだろうか? そうも思ったが春子は返事だけすると、一拍置いて、では、と続けた。
「……土屋さん、お裾分け、ありがとうございます」
「あ、いやどう致しまして……」
打ち切られた会話に名残惜しげに返す土屋と、これ以上続けるべき話は春子にはなかった。むしろ、職場の人間との会話であることを考えれば続いた方だろう。
「では、また明日。……おやすみなさい」
「おやすみ……」
閉じられた扉の外で小さく息をついた土屋は、頭を掻いて自分の部屋へと戻っていった。
春子は施錠して台所へ行くと、まだ暖かいタッパーを開ける。中には、仄かに湯気のたつ肉じゃが。
「肉じゃが……か」
もっと豪快な料理を作りそうなのに。意外だ。
そう思って、少し微笑う。
(……あの人は……東海林武は、何が好きなんだろう)
そういえばよく知らない。いつも焼きそばパンを筆頭に色々な惣菜パンをかじりながらパソコンに向かっているけれど。
他でちゃんと、栄養をとっているんだろうか。
温かいご飯が、恋しくならないんだろうか。
私がもし主婦のように東海林武を支えていたら、なんてそんなこと、考えても仕方ないのだろう。春子が、春子自身の意思で選んだのは、あの人が一番苦しんでいる場所であの人の支えになることだったのだから。
だから、春子は今、ぶれるわけには行かない。
ただ。
(もう少し素直になってみても)
いいかもしれない。
肉じゃがをつつきながら、そう思った。
PR
職場内恋愛は、決して御法度ではない。けれど、子会社をまとめきれていない『所長』と入ったばかりの『派遣』のそれは、確実に社内の雰囲気を悪くするだろう。それが判っているから、東海林は何もできない。
どれだけ近くて遠い距離がもどかしかろうが、春子が仕事上での自分の支えに徹するならば東海林は、否、上司である東海林から『派遣とは言えど部下との適切な距離』を保たなければならない。
けれど。
そんな理屈だけで恋愛が成り立つなら。
そんな理屈で成り立つ恋愛ならば。
こんなに焦がれることもないだろう。
大前春子が来て三週間。最近、土屋の春子への態度が目に見えて、優しい。
春子に手酷く『仕事とプライベートを混同するな』と叩かれた男は、懲りることもなく、仕事は仕事、プライベートはプライベート、と割り切ってアプローチしようとしているようだった。
『春ちゃん、仕事帰りに同僚として食事にいかねえか?』
『行きません』
(って、全然割り切ってねーじゃん……)
東海林にとっての救いは、仕事において春子が土屋に何かを頼る必要が一切ないことくらいだ。勿論、社内の連携を考えれば人間関係に難あり、というのは問題なのだけれど、別に春子が土屋を無視している、などということではなくあくまでも普段通りの彼女に相手にされていないというだけ。尤も、それも土屋には堪えていないようだけれど。
正直あのガテン系の趣味がイマサン解らない。
「ってまあ、人の事言えねーか……」
焼きそばパンを頬張りながら、パソコンを弄る東海林は浮かない顔をしていた。というのも今日は、ドライバーの一人が欠勤したため春子がそちらにまわっているのだ。いつもは視線の先に居る彼女が居ない。事務職は三人入っているので業務自体に支障はないのだが、どうにも溜め息を禁じ得ない。とは言え、東海林とて青二才ではない。自身の職務は全うしているわけだけれど。
……けれど。
こんなとき、気軽に彼女を食事に誘ったりできる位置にいる土屋が羨ましいと思ってしまう。その誘いに春子が頷くかどうかは別として、だ。
(……って、んな弱気でも居られないよな……)
東海林は幾度も漏れる溜め息を飲み込んで、ついでに焼きそばパンも口に放り込むと、頬を叩いて気合いをいれた。
お前が頑張ってくれてんのに俺の方が情けない面なんてしてられないもんな。
※※※
東海林が社員のシフトを組んで居ると、一本の電話が入る。表示された番号を見れば、ここ数週間ですっかり見慣れたそれ。思わず表情が緩む。
ガチャリ、と受話器を取った。
「はい、S&F名古屋運輸営業所の東海林がお伺い致します」
『大前です。これから、帰社致します』
「おー、お疲れさん。ってもう六時になるじゃねえか……。最後の納品先は……あー、そっからじゃこっちに帰ってくると七時まわるだろ……直帰していいよって言いたいけど、トラックあるもんなあ……」
『ご心配には及びません。……東海林所長は定時にお帰りになりますか?』
「俺か? いや……金曜日だしな。もう少し粘ってから帰るわ」
『金曜日だから、という理由がなくともあなたは会社に居着いている気がしますが』
「ほっとけ」
『それでは、失礼致します』
「安全運転でな」
『はい』
受話器を置き、東海林は再びパソコン画面に向かう。
(本社じゃあ、あれだけ残業は致しませんっつってた癖に……)
この営業所に来て、春子は定時で帰宅することが少なくなった。ちゃんと休んでいるのか、と不安になることもある。尤も、本人にそれを言ったところ『業務に支障が出ないよう自己管理しています』と返されたが。
(そーゆーことじゃないだろ……)
歯痒い想い。
※※※
(私一人、帰るわけに行かないじゃない)
名古屋の営業所で働くと決めてから、定時での帰宅という決め事を一つ、捨てた。
放っておくといつまでも仕事をしている東海林武のせいだ。春子には早く帰れと発破をかけるくせに自分の腰は上がらない。春子が納品を終えて帰社すると、大抵定時を過ぎた事務所に東海林一人残って残業している。
なんのために一ツ木を通さずに名古屋まで来たと思っているのか。東海林が身体を壊せば、意味がないのに。
それに、東海林を追い詰めているらしい要因に心当たりがある。最近、春子に言い寄る土屋に気を揉んでいるようなのだ。
まあこれは、春子の思い過ごしかも知れないけれど。でも、先日東海林の前で土屋に食事に誘われた時など、酷かった。奴は使っていたホッチキスで、指を打ったのだ。幸い爪を削っただけで傷は浅かったが、職務に支障を来していてどうするのだ。
(まあ、たまたまあのタイミングだっただけで、自意識過剰と言われれば、その通りかも知れないけど)
けれど、そう感じてしまってもおかしくないくらいには、動揺していたように見えたから。
勿論春子は土屋に特別な感情など持ち合わせていないし、食事の誘いもその場で『行きません』と断った。土屋という男は気のいい兄気質の男だとは思うが、その程度。
春子が名古屋に来た理由なんて、ただ一つ、ただ一人のためなのに。
(言葉にしなくちゃ、いけないの? 疎い人)
歯痒い想い。
※※※
二人して互いを慮る日々。
((ああ、でも))
(アイツと居られる時間は)
(あの人の近くに居られる時間は)
(落ち着くなんて)
(嫌いじゃないなんて)
……きっと知る由もないのだろう、と二人、時を同じく別の場所にて、溜めた息を吐き出す日。
どれだけ近くて遠い距離がもどかしかろうが、春子が仕事上での自分の支えに徹するならば東海林は、否、上司である東海林から『派遣とは言えど部下との適切な距離』を保たなければならない。
けれど。
そんな理屈だけで恋愛が成り立つなら。
そんな理屈で成り立つ恋愛ならば。
こんなに焦がれることもないだろう。
大前春子が来て三週間。最近、土屋の春子への態度が目に見えて、優しい。
春子に手酷く『仕事とプライベートを混同するな』と叩かれた男は、懲りることもなく、仕事は仕事、プライベートはプライベート、と割り切ってアプローチしようとしているようだった。
『春ちゃん、仕事帰りに同僚として食事にいかねえか?』
『行きません』
(って、全然割り切ってねーじゃん……)
東海林にとっての救いは、仕事において春子が土屋に何かを頼る必要が一切ないことくらいだ。勿論、社内の連携を考えれば人間関係に難あり、というのは問題なのだけれど、別に春子が土屋を無視している、などということではなくあくまでも普段通りの彼女に相手にされていないというだけ。尤も、それも土屋には堪えていないようだけれど。
正直あのガテン系の趣味がイマサン解らない。
「ってまあ、人の事言えねーか……」
焼きそばパンを頬張りながら、パソコンを弄る東海林は浮かない顔をしていた。というのも今日は、ドライバーの一人が欠勤したため春子がそちらにまわっているのだ。いつもは視線の先に居る彼女が居ない。事務職は三人入っているので業務自体に支障はないのだが、どうにも溜め息を禁じ得ない。とは言え、東海林とて青二才ではない。自身の職務は全うしているわけだけれど。
……けれど。
こんなとき、気軽に彼女を食事に誘ったりできる位置にいる土屋が羨ましいと思ってしまう。その誘いに春子が頷くかどうかは別として、だ。
(……って、んな弱気でも居られないよな……)
東海林は幾度も漏れる溜め息を飲み込んで、ついでに焼きそばパンも口に放り込むと、頬を叩いて気合いをいれた。
お前が頑張ってくれてんのに俺の方が情けない面なんてしてられないもんな。
※※※
東海林が社員のシフトを組んで居ると、一本の電話が入る。表示された番号を見れば、ここ数週間ですっかり見慣れたそれ。思わず表情が緩む。
ガチャリ、と受話器を取った。
「はい、S&F名古屋運輸営業所の東海林がお伺い致します」
『大前です。これから、帰社致します』
「おー、お疲れさん。ってもう六時になるじゃねえか……。最後の納品先は……あー、そっからじゃこっちに帰ってくると七時まわるだろ……直帰していいよって言いたいけど、トラックあるもんなあ……」
『ご心配には及びません。……東海林所長は定時にお帰りになりますか?』
「俺か? いや……金曜日だしな。もう少し粘ってから帰るわ」
『金曜日だから、という理由がなくともあなたは会社に居着いている気がしますが』
「ほっとけ」
『それでは、失礼致します』
「安全運転でな」
『はい』
受話器を置き、東海林は再びパソコン画面に向かう。
(本社じゃあ、あれだけ残業は致しませんっつってた癖に……)
この営業所に来て、春子は定時で帰宅することが少なくなった。ちゃんと休んでいるのか、と不安になることもある。尤も、本人にそれを言ったところ『業務に支障が出ないよう自己管理しています』と返されたが。
(そーゆーことじゃないだろ……)
歯痒い想い。
※※※
(私一人、帰るわけに行かないじゃない)
名古屋の営業所で働くと決めてから、定時での帰宅という決め事を一つ、捨てた。
放っておくといつまでも仕事をしている東海林武のせいだ。春子には早く帰れと発破をかけるくせに自分の腰は上がらない。春子が納品を終えて帰社すると、大抵定時を過ぎた事務所に東海林一人残って残業している。
なんのために一ツ木を通さずに名古屋まで来たと思っているのか。東海林が身体を壊せば、意味がないのに。
それに、東海林を追い詰めているらしい要因に心当たりがある。最近、春子に言い寄る土屋に気を揉んでいるようなのだ。
まあこれは、春子の思い過ごしかも知れないけれど。でも、先日東海林の前で土屋に食事に誘われた時など、酷かった。奴は使っていたホッチキスで、指を打ったのだ。幸い爪を削っただけで傷は浅かったが、職務に支障を来していてどうするのだ。
(まあ、たまたまあのタイミングだっただけで、自意識過剰と言われれば、その通りかも知れないけど)
けれど、そう感じてしまってもおかしくないくらいには、動揺していたように見えたから。
勿論春子は土屋に特別な感情など持ち合わせていないし、食事の誘いもその場で『行きません』と断った。土屋という男は気のいい兄気質の男だとは思うが、その程度。
春子が名古屋に来た理由なんて、ただ一つ、ただ一人のためなのに。
(言葉にしなくちゃ、いけないの? 疎い人)
歯痒い想い。
※※※
二人して互いを慮る日々。
((ああ、でも))
(アイツと居られる時間は)
(あの人の近くに居られる時間は)
(落ち着くなんて)
(嫌いじゃないなんて)
……きっと知る由もないのだろう、と二人、時を同じく別の場所にて、溜めた息を吐き出す日。
何も変わりのない日常。お前が来た、それだけ、たったそれだけなんだ。大前春子。
「東海林所長」
S&F運輸名古屋営業所。
正式な契約を交わしてからは初めての出勤になる大前春子は、本日の仕事内容を東海林に確認するためデスクへと足を向ける。
既にデスクでパソコンを立ち上げていた東海林は、その自分を呼ぶ春子の声で顔を上げた。
本当はこちらに歩いてくる彼女に鼓動が速まっていたのだけれど、おくびにも出さずに、否出さないように春子を見る。
「おぉ、おはよう……大前さん」
「おはようございます」
今まで一人きり、孤独感に苛まれていた東海林にとっては、見知った人間が伴に働いてくれる、それだけで嬉しい。それも、己が悪く思っていない否、それどころか好意を抱いている相手ならば、尚更だ。
「いやぁ、いっつもとっくりとっくり呼んでたもんだからいざ『大前さん』て呼ぶとなんかこっぱずかしいな! 『大前さん!』てな!」
自然と饒舌になるが、大前春子は眉一つ動かさない。目の奥に呆れの色は見えるけれど、それだけだ。
「時間が惜しいので業務の詳細を教えてください」
「相変わらず連れないねぇアンタ……ま、来てくれただけで嬉しいけど……さ」
後半は囁くような小さな声でもって言う。春子にきこえただろうか、と盗み見ると、苛立ったような表情が見下ろしていた。
……ですよね。
「……えーっと、今日は事務の方をやってもらいます。資料は全部、そっちのデスクにあるから」
「わかりました」
軽口を叩くのは諦めて春子に業務の指示を出した東海林は自分も業務に着くために運送の日程の書いてあるボードをとって、事務所の時計を見る。
「八時四十五分……よし、んじゃちょっと外見て来ますんで、なんかあったらー……」
(って、聞いてねーかぁ……)
見れば、春子の他にいる二人の事務員はお喋りしながら珈琲を飲んでいるし、春子は、本社で見たあの至極真面目、というか仏頂面でキーボードをカタカタ叩いている。
「九時には一旦戻ってきます……」
誰からの言葉もなく事務所を後にした東海林は、ドライバー達のメンチを切るような視線の渦を思って、深い溜め息を吐いた。
「……って、んん? なんでとっくりの奴働いてない二人になんも言わなかったんだ?」
始業のチャイムはまだ鳴らない。
※※※
事務兼ドライバーを二人分こなす、と仮契約をしてそのまま福岡へ向かった春子は、帰社すると東海林と本契約についての交渉を行った。
春子は一日の中で事務職とドライバーを兼務する、と粘ったが、結局東海林の『運転に慣れているドライバーでも事故を起こすことがある。俺はアンタを信用してるし信頼もしてるけど、もし事務と兼務なんて慣れないことして、万が一、事故が起きればこの営業所だけじゃない、本社にだって迷惑がかかる』という尤もな意見により、原則的には事務職、どうしても人手が足りないときだけはドライバーに回るという形で落ち着いた。断じて『それに何より、アンタ自身にもしものことがあったら、ホント俺やってけねえよ』という、里中張りの子犬の目に胸がときめいて大人しく従ったわけではない。絶対。動揺だってしていない。
春子が邪念を振り払うようにカタカタキーボードを叩きつけていると、九時の始業のチャイムが鳴った。
ピタリ、と一瞬キーボードを叩く音が止んで、春子はバッと壁に掛かっている時計に目をやった。
(……仕事が溜まってるみたいだったから、九時前に始めただけなんだから)
動揺なんて、していない。
チャイムを合図に外で東海林に文句を垂れながら煙草をふかしていたドライバーがぞろぞろと入ってくる。その筆頭は売り言葉に買い言葉で東海林の下では働けない、と福岡行きをボイコットした土屋。幾ら上司が気に入らなくとも、東海林の態度自体に問題があるわけではない。相性の良し悪しはあってもそれだけで仕事を放棄するわけにはいかない、と一応は考えたらしい彼だった。
一番後ろからくっつくようにして入ってきた東海林は、ホワイトボードのある場所まで行くと、朝礼を始める。いつも大抵この東海林の挨拶をちゃんと聞く者は居ないし、今日もそれは同じだろう。それでも決まりは決まり。
「えー、本日も皆さん宜しくお願いします。あー……今日から新しい派遣さんが入りました、原則的には事務職、人手が足りない時にはドライバーも兼務してもらいます。大前春子さんです。大前さん、何か一言挨拶を、」
「必要ありません」
朝礼中ということで手は休めているが、その顔には『とっとと仕事を始めさせろ』と大きく書かれている。その春子の慇懃な態度に、どこからかヒュウと口笛が聞こえた。東海林は息を吐くがこの女の仕事におけるヒューマンスキルのなさは判っていたこと。特に気にもしない。けれど。
「あ……!」
興味なさげにペットボトルのお茶に口を付けていた土屋が、春子という女の名前にだけは反応した。運送は男社会。必然的に女との接点は少なくなる。そんな中での興味。そして彼の目に映ったのは、つい先日知った顔だった。
「アンタ! うちの隣越してきた人じゃねーか!」
「……!」
途端に春子の表情が『しくじった』とでも言うように歪み、東海林の顔は不安に染まる。
仲間に自慢げに隣に引っ越してきた女の話をする土屋は、確実に生活範囲という意味で距離の近しいこの女に、興味を持ったようだった。
「……では、朝礼を終わります……各自持ち場についてください。えー、大前さんは仕事の前に確認したいことがあるので、応接室までお願いします」
(職権乱用するんじゃない!)
実に迷惑そうにこちらを見る春子に、東海林は不安げな視線を返した。
※※※
「お前、家が土屋さんの隣って……!」
どこで聞かれているかわからないため、小声で春子を問い詰める。何せ惚れた女が他の男に言い寄られるかも知れないのだ。東海林にとっては一大事である。
「厳密には家ではなく部屋です。住む場所がなければ私生活にも業務にも支障が出ますので、近い賃貸住宅を借りましたそれが何か?」
「だからってなんで土屋さんちの隣なんだよ……!」
「あの人の隣だから選んだわけではありません。あの人が此処で働いていることなんて知りませんし、偶々です」
「だ、ってお前……女一人で……」
「別に四方八方男で囲まれているわけではありませんが?」
「……」
春子は、ふっと息を抜くと改めて東海林を見た。こんな気弱な東海林武、本社では見たことがない。否、会社を辞めようとした時には同じような表情を見たが、それだけでこの男が追い込まれているのかがわかる。
(しょうのない人、どれだけ一杯一杯なんだ、全く……)
春子は、ロシア語で、東海林に話し掛けた。もし盗み聞かれていたとして、英語ならばわかる者は多いかもしれないが、ロシア語となれば話は別だろう。ただ、東海林にだけ伝われば良かった。
『私が此処に来たのは誰でもない貴方のため。それは今も、三ヶ月後も変わらない。わかった?』
今はこれしか言えないけれど、見つめた視線は絡んだまま、東海林が頷いたから大丈夫だろう。
「……わかりました」
「では、業務に戻ります」
ガチャリと扉を開ければそこには、なんでもない風体を装った土屋が立っていた。しかし幾ら繕っても、春子を待っていたことは明らかだ。
「あ、大前さん、何かわからないことがあったら何でも俺に! 訊いて良いから、ほら、隣のよしみってやつでさ」
「……」
ノリが東海林と似ている、と思った。
「聞いてっか?」
「仕事とプライベートを混同しないで下さい。隣人であることと同僚であることは全く関係ありません」
バッサリと切り捨ててデスクに戻る春子を、土屋が放心したように見る。
そんな土屋になんとなしに目をやっていた東海林が土屋に『何見てんだよ、アァ?』と因縁を付けられるのは、数秒後。
すみません、と平謝りしながら、東海林はにやけそうになる口元を必死で引き締めた。
ヒューマンスキルゼロの女に、云われた言葉があまりに暖かかったせいだ。
何も変わりのない日常。お前が来た、それだけ、たったそれだけなんだ。大前春子。
(ああ、けれど、たったそれだけの変化が、まるで嵐の予感)
「東海林所長」
S&F運輸名古屋営業所。
正式な契約を交わしてからは初めての出勤になる大前春子は、本日の仕事内容を東海林に確認するためデスクへと足を向ける。
既にデスクでパソコンを立ち上げていた東海林は、その自分を呼ぶ春子の声で顔を上げた。
本当はこちらに歩いてくる彼女に鼓動が速まっていたのだけれど、おくびにも出さずに、否出さないように春子を見る。
「おぉ、おはよう……大前さん」
「おはようございます」
今まで一人きり、孤独感に苛まれていた東海林にとっては、見知った人間が伴に働いてくれる、それだけで嬉しい。それも、己が悪く思っていない否、それどころか好意を抱いている相手ならば、尚更だ。
「いやぁ、いっつもとっくりとっくり呼んでたもんだからいざ『大前さん』て呼ぶとなんかこっぱずかしいな! 『大前さん!』てな!」
自然と饒舌になるが、大前春子は眉一つ動かさない。目の奥に呆れの色は見えるけれど、それだけだ。
「時間が惜しいので業務の詳細を教えてください」
「相変わらず連れないねぇアンタ……ま、来てくれただけで嬉しいけど……さ」
後半は囁くような小さな声でもって言う。春子にきこえただろうか、と盗み見ると、苛立ったような表情が見下ろしていた。
……ですよね。
「……えーっと、今日は事務の方をやってもらいます。資料は全部、そっちのデスクにあるから」
「わかりました」
軽口を叩くのは諦めて春子に業務の指示を出した東海林は自分も業務に着くために運送の日程の書いてあるボードをとって、事務所の時計を見る。
「八時四十五分……よし、んじゃちょっと外見て来ますんで、なんかあったらー……」
(って、聞いてねーかぁ……)
見れば、春子の他にいる二人の事務員はお喋りしながら珈琲を飲んでいるし、春子は、本社で見たあの至極真面目、というか仏頂面でキーボードをカタカタ叩いている。
「九時には一旦戻ってきます……」
誰からの言葉もなく事務所を後にした東海林は、ドライバー達のメンチを切るような視線の渦を思って、深い溜め息を吐いた。
「……って、んん? なんでとっくりの奴働いてない二人になんも言わなかったんだ?」
始業のチャイムはまだ鳴らない。
※※※
事務兼ドライバーを二人分こなす、と仮契約をしてそのまま福岡へ向かった春子は、帰社すると東海林と本契約についての交渉を行った。
春子は一日の中で事務職とドライバーを兼務する、と粘ったが、結局東海林の『運転に慣れているドライバーでも事故を起こすことがある。俺はアンタを信用してるし信頼もしてるけど、もし事務と兼務なんて慣れないことして、万が一、事故が起きればこの営業所だけじゃない、本社にだって迷惑がかかる』という尤もな意見により、原則的には事務職、どうしても人手が足りないときだけはドライバーに回るという形で落ち着いた。断じて『それに何より、アンタ自身にもしものことがあったら、ホント俺やってけねえよ』という、里中張りの子犬の目に胸がときめいて大人しく従ったわけではない。絶対。動揺だってしていない。
春子が邪念を振り払うようにカタカタキーボードを叩きつけていると、九時の始業のチャイムが鳴った。
ピタリ、と一瞬キーボードを叩く音が止んで、春子はバッと壁に掛かっている時計に目をやった。
(……仕事が溜まってるみたいだったから、九時前に始めただけなんだから)
動揺なんて、していない。
チャイムを合図に外で東海林に文句を垂れながら煙草をふかしていたドライバーがぞろぞろと入ってくる。その筆頭は売り言葉に買い言葉で東海林の下では働けない、と福岡行きをボイコットした土屋。幾ら上司が気に入らなくとも、東海林の態度自体に問題があるわけではない。相性の良し悪しはあってもそれだけで仕事を放棄するわけにはいかない、と一応は考えたらしい彼だった。
一番後ろからくっつくようにして入ってきた東海林は、ホワイトボードのある場所まで行くと、朝礼を始める。いつも大抵この東海林の挨拶をちゃんと聞く者は居ないし、今日もそれは同じだろう。それでも決まりは決まり。
「えー、本日も皆さん宜しくお願いします。あー……今日から新しい派遣さんが入りました、原則的には事務職、人手が足りない時にはドライバーも兼務してもらいます。大前春子さんです。大前さん、何か一言挨拶を、」
「必要ありません」
朝礼中ということで手は休めているが、その顔には『とっとと仕事を始めさせろ』と大きく書かれている。その春子の慇懃な態度に、どこからかヒュウと口笛が聞こえた。東海林は息を吐くがこの女の仕事におけるヒューマンスキルのなさは判っていたこと。特に気にもしない。けれど。
「あ……!」
興味なさげにペットボトルのお茶に口を付けていた土屋が、春子という女の名前にだけは反応した。運送は男社会。必然的に女との接点は少なくなる。そんな中での興味。そして彼の目に映ったのは、つい先日知った顔だった。
「アンタ! うちの隣越してきた人じゃねーか!」
「……!」
途端に春子の表情が『しくじった』とでも言うように歪み、東海林の顔は不安に染まる。
仲間に自慢げに隣に引っ越してきた女の話をする土屋は、確実に生活範囲という意味で距離の近しいこの女に、興味を持ったようだった。
「……では、朝礼を終わります……各自持ち場についてください。えー、大前さんは仕事の前に確認したいことがあるので、応接室までお願いします」
(職権乱用するんじゃない!)
実に迷惑そうにこちらを見る春子に、東海林は不安げな視線を返した。
※※※
「お前、家が土屋さんの隣って……!」
どこで聞かれているかわからないため、小声で春子を問い詰める。何せ惚れた女が他の男に言い寄られるかも知れないのだ。東海林にとっては一大事である。
「厳密には家ではなく部屋です。住む場所がなければ私生活にも業務にも支障が出ますので、近い賃貸住宅を借りましたそれが何か?」
「だからってなんで土屋さんちの隣なんだよ……!」
「あの人の隣だから選んだわけではありません。あの人が此処で働いていることなんて知りませんし、偶々です」
「だ、ってお前……女一人で……」
「別に四方八方男で囲まれているわけではありませんが?」
「……」
春子は、ふっと息を抜くと改めて東海林を見た。こんな気弱な東海林武、本社では見たことがない。否、会社を辞めようとした時には同じような表情を見たが、それだけでこの男が追い込まれているのかがわかる。
(しょうのない人、どれだけ一杯一杯なんだ、全く……)
春子は、ロシア語で、東海林に話し掛けた。もし盗み聞かれていたとして、英語ならばわかる者は多いかもしれないが、ロシア語となれば話は別だろう。ただ、東海林にだけ伝われば良かった。
『私が此処に来たのは誰でもない貴方のため。それは今も、三ヶ月後も変わらない。わかった?』
今はこれしか言えないけれど、見つめた視線は絡んだまま、東海林が頷いたから大丈夫だろう。
「……わかりました」
「では、業務に戻ります」
ガチャリと扉を開ければそこには、なんでもない風体を装った土屋が立っていた。しかし幾ら繕っても、春子を待っていたことは明らかだ。
「あ、大前さん、何かわからないことがあったら何でも俺に! 訊いて良いから、ほら、隣のよしみってやつでさ」
「……」
ノリが東海林と似ている、と思った。
「聞いてっか?」
「仕事とプライベートを混同しないで下さい。隣人であることと同僚であることは全く関係ありません」
バッサリと切り捨ててデスクに戻る春子を、土屋が放心したように見る。
そんな土屋になんとなしに目をやっていた東海林が土屋に『何見てんだよ、アァ?』と因縁を付けられるのは、数秒後。
すみません、と平謝りしながら、東海林はにやけそうになる口元を必死で引き締めた。
ヒューマンスキルゼロの女に、云われた言葉があまりに暖かかったせいだ。
何も変わりのない日常。お前が来た、それだけ、たったそれだけなんだ。大前春子。
(ああ、けれど、たったそれだけの変化が、まるで嵐の予感)
「たっだいまー……」
居間を覗くように入ってきた芯子の声で、うたた寝していたみぞれが目を開けた。時計を見れば、十七時。
「おかえりぃ、芯子姉ェ……頼んだの買ってくれた?」
「んー? うん。……何んな所で突っ立ってんの、入ればいーじゃん」
芯子は、玄関に向かってそう言うと便所便所、とトイレを目指す。一方、客人かと眠い目を擦りながら玄関を見たみぞれは、そこに立つ見知った顔を視線に捉えてその瞳を丸くした。
「角松さん?」
「あ、ども」
「え、なんで……あ、とりあえずどうぞ入って! 芯子姉ェ! なんでお客さんに荷物持たせてんのー!」
と、トイレに居る姉に向かって叫んだみぞれは、はたりと動きを止める。
てっきり姉は、誰か、と夜を過ごしたのだと思っていた。そしてその誰かは、恐らく、工藤優なのだろうと早合点していた。しかし、昼間家に来た優の様子は思っていたものとは違い、なにより、姉が一緒でなかった。
では、姉は今まで誰と一緒に居たのか? 母と首を傾げた疑問。その答え、もしかしてもしかすると…?
「みぞれ、何叫んでんだい全く……あら、あれあれ、芯子の勤め先の……」
みぞれの声はどうやら母まで届いていたようだ。啄子はそれをたしなめるように居間に入ると、一郎の姿に目を止めた。
「あ、角松です」
「あれまあこんな寒いのに、それもしかすると、芯子に頼んだ……」
「あぁ、はい」
「本当にすみませんね、まったく……芯子! お客さんに何持たせてんだ!」
角松から荷を預かった母も、トイレに続く廊下に向かって芯子を怒鳴った。よく似た母子である。
角松は、荷を渡してしまうと所在なさげに立ったままで、やはりトイレの方を気にする。と、芯子がやっとトイレから出てきた。角松の表情が心なしか和らぐ。
「あー、スッキリした。……ったくかーちゃんもみぞれも、人が用足してる時にガーガーガーガーうっさいってのー」
「うっさいじゃないだろう全くこの馬鹿は、誰に似たんだかねえ」
芯子は、卓袱台の前にどっかり腰を下ろすと、突っ立ったままの一郎を見上げる。
「シングルパーはいつまで立、ってん、の」
「いや、タイミングがな」
居心地悪そうにしていた一郎は、とりあえず芯子の隣に腰を落ち着けた。
「ああ、パーといえば芯子、昼間に優君がうちに来たんだよ。用があるとかで直ぐ帰ったけど」
「え? ……あー、あとであれだ。連絡する。うん」
目を背けながら卓袱台の上のせんべいを取って弄ぶ。都合が悪くなった時の芯子のごまかしかただ。
啄子は、息を吐くと芯子の隣に座る一郎に視線を移した。
「それで、角松さんは何かうちに用事かなんかで? あ、もしかしてうちの馬鹿がまた何か!?」
啄子の言葉に、芯子が憤慨する。
「またってなんだよ人聞きわりーな、それじゃまるでアタシがいつもいつもコイツにメーワク掛けてるみたいじゃん。違うっちゅーの」
「何が違うもんかね、掛けてるだろ、迷惑」
「だから、そっちじゃなくてー……」
「じゃあなんだい」
だからぁ、その、と、芯子は煮え切らない。ここは俺がちゃんと説明すべきか、と一郎が口を挟もうとする。と。
「あの~……」
「あーアンタは口開かなくていー! ややこしくなる!」
芯子は、一郎の口に食べかけのせんべいをぐっと押し込んだ。一郎はぐふ、だか、ぶは、だか呻く。
「何すんだ!」
「あーもーうっさいうっさい」
「……お母さん、なんか、二人とも妙に仲良くない?」
「……うん」
そのやりとりを見ていた啄子とみぞれがそれぞれこっくりと頷き、居住まいを正した。
実際はこのじゃれあいはいつでもどこでも年中無休だが、そうとは知らない二人から見れば、上司と部下にしては仲の良すぎる光景に見える。
「……芯子、もしかして」
「ん?」
「芯子姉ェやっぱり……」
「な、なに」
『こっちのパーなの!?』
途端に芯子の顔にバッと朱が差した。
へぇ……はーあぁそうなんだ、と何やら完結している二人に、芯子が食ってかかる。
「なになになになんか文句あんのー!?」
「いやいや、文句なんか言ったら罰当たるよ、アンタ」
「ハァ!?」
「角松さん、芯子姉ェをよろしくお願いします」
あ、はい、とみぞれと啄子に返した一郎に、芯子が鼻を鳴らす。
「何照れてんの芯子姉ェ」
「ばっ、照れてない!」
「本当だよいい歳して赤くなって」
「いい歳って何だよ!」
散々二人にからかわれた芯子は、バン、と卓袱台を叩くと勢いよく立ち上がる。そのまま、もーいい! と二階にドタバタ駆け上がってしまった。
ちょっとやりすぎたか、とみぞれが追いかける。
……。
「あのー角松さん」
「はい?」
二人が出て登って行った方を見つめていた一郎に、啄子が声をかけた。向き直った一郎に、啄子が頭を下げる。
「芯子のこと、よろしくお願いします。……あんなんですけど、根は、いい子ですから」
「……わかってます」
此方こそよろしくお願いします。
挨拶を終えた二人が、上で叫ぶ姉妹の声に、どちらともなく顔を見合わせ、笑った。
居間を覗くように入ってきた芯子の声で、うたた寝していたみぞれが目を開けた。時計を見れば、十七時。
「おかえりぃ、芯子姉ェ……頼んだの買ってくれた?」
「んー? うん。……何んな所で突っ立ってんの、入ればいーじゃん」
芯子は、玄関に向かってそう言うと便所便所、とトイレを目指す。一方、客人かと眠い目を擦りながら玄関を見たみぞれは、そこに立つ見知った顔を視線に捉えてその瞳を丸くした。
「角松さん?」
「あ、ども」
「え、なんで……あ、とりあえずどうぞ入って! 芯子姉ェ! なんでお客さんに荷物持たせてんのー!」
と、トイレに居る姉に向かって叫んだみぞれは、はたりと動きを止める。
てっきり姉は、誰か、と夜を過ごしたのだと思っていた。そしてその誰かは、恐らく、工藤優なのだろうと早合点していた。しかし、昼間家に来た優の様子は思っていたものとは違い、なにより、姉が一緒でなかった。
では、姉は今まで誰と一緒に居たのか? 母と首を傾げた疑問。その答え、もしかしてもしかすると…?
「みぞれ、何叫んでんだい全く……あら、あれあれ、芯子の勤め先の……」
みぞれの声はどうやら母まで届いていたようだ。啄子はそれをたしなめるように居間に入ると、一郎の姿に目を止めた。
「あ、角松です」
「あれまあこんな寒いのに、それもしかすると、芯子に頼んだ……」
「あぁ、はい」
「本当にすみませんね、まったく……芯子! お客さんに何持たせてんだ!」
角松から荷を預かった母も、トイレに続く廊下に向かって芯子を怒鳴った。よく似た母子である。
角松は、荷を渡してしまうと所在なさげに立ったままで、やはりトイレの方を気にする。と、芯子がやっとトイレから出てきた。角松の表情が心なしか和らぐ。
「あー、スッキリした。……ったくかーちゃんもみぞれも、人が用足してる時にガーガーガーガーうっさいってのー」
「うっさいじゃないだろう全くこの馬鹿は、誰に似たんだかねえ」
芯子は、卓袱台の前にどっかり腰を下ろすと、突っ立ったままの一郎を見上げる。
「シングルパーはいつまで立、ってん、の」
「いや、タイミングがな」
居心地悪そうにしていた一郎は、とりあえず芯子の隣に腰を落ち着けた。
「ああ、パーといえば芯子、昼間に優君がうちに来たんだよ。用があるとかで直ぐ帰ったけど」
「え? ……あー、あとであれだ。連絡する。うん」
目を背けながら卓袱台の上のせんべいを取って弄ぶ。都合が悪くなった時の芯子のごまかしかただ。
啄子は、息を吐くと芯子の隣に座る一郎に視線を移した。
「それで、角松さんは何かうちに用事かなんかで? あ、もしかしてうちの馬鹿がまた何か!?」
啄子の言葉に、芯子が憤慨する。
「またってなんだよ人聞きわりーな、それじゃまるでアタシがいつもいつもコイツにメーワク掛けてるみたいじゃん。違うっちゅーの」
「何が違うもんかね、掛けてるだろ、迷惑」
「だから、そっちじゃなくてー……」
「じゃあなんだい」
だからぁ、その、と、芯子は煮え切らない。ここは俺がちゃんと説明すべきか、と一郎が口を挟もうとする。と。
「あの~……」
「あーアンタは口開かなくていー! ややこしくなる!」
芯子は、一郎の口に食べかけのせんべいをぐっと押し込んだ。一郎はぐふ、だか、ぶは、だか呻く。
「何すんだ!」
「あーもーうっさいうっさい」
「……お母さん、なんか、二人とも妙に仲良くない?」
「……うん」
そのやりとりを見ていた啄子とみぞれがそれぞれこっくりと頷き、居住まいを正した。
実際はこのじゃれあいはいつでもどこでも年中無休だが、そうとは知らない二人から見れば、上司と部下にしては仲の良すぎる光景に見える。
「……芯子、もしかして」
「ん?」
「芯子姉ェやっぱり……」
「な、なに」
『こっちのパーなの!?』
途端に芯子の顔にバッと朱が差した。
へぇ……はーあぁそうなんだ、と何やら完結している二人に、芯子が食ってかかる。
「なになになになんか文句あんのー!?」
「いやいや、文句なんか言ったら罰当たるよ、アンタ」
「ハァ!?」
「角松さん、芯子姉ェをよろしくお願いします」
あ、はい、とみぞれと啄子に返した一郎に、芯子が鼻を鳴らす。
「何照れてんの芯子姉ェ」
「ばっ、照れてない!」
「本当だよいい歳して赤くなって」
「いい歳って何だよ!」
散々二人にからかわれた芯子は、バン、と卓袱台を叩くと勢いよく立ち上がる。そのまま、もーいい! と二階にドタバタ駆け上がってしまった。
ちょっとやりすぎたか、とみぞれが追いかける。
……。
「あのー角松さん」
「はい?」
二人が出て登って行った方を見つめていた一郎に、啄子が声をかけた。向き直った一郎に、啄子が頭を下げる。
「芯子のこと、よろしくお願いします。……あんなんですけど、根は、いい子ですから」
「……わかってます」
此方こそよろしくお願いします。
挨拶を終えた二人が、上で叫ぶ姉妹の声に、どちらともなく顔を見合わせ、笑った。
くぁあ、と大きく欠伸をした芯子は、汗ばんだ首筋に手を這わせた。自分のではなく、一郎のそれに、である。
中年男が出っ張った腹か、と思っていたが、この男は意外にも記憶に違わない身体つきを維持している。いい意味で。それに、身体の相性もこれまでの数えられるどの男よりいいのだろう。
(ま、あいっかわらず耐え性はないけど、な)
※※※
「アタシさ、嫌いじゃナイんだよねえ」
芯子は、それだけ呟くと徐に一郎の服を捲り上げた。狼狽える男には構わず、見えた肌に顔を寄せ、吸いつく。
強めに舌を使えばそこには鬱血の小さな跡。それをなぞって、芯子は唇を舐めた。
「アンタとするの」
芯子は上体を起こすと、仰向けの一郎の腰に跨がるように座った。そのままゆらゆらと身体を動かす。
「お前、あんま煽んないでもらえねーかな……。……ッホント、余裕ないのよ俺……」
「嫌いじゃナイっつってんのに、なーんでそんなコトゆーわけ?」
「そりゃ俺はいい。……気持ちいいしな。挿入れて動くだけだし。でも、お前、久しぶりで辛くないか?」
「……っとに、パー……」
好きだのなんだの言う癖に、アタシに惚れてる癖に、自分本位で動こうとはしない。そんなところに少し苛立つ。普段言い合いをしているときのような距離がいいのに。
「パーってなんだ、俺はお前を心配して、」
「脱げ」
「聞け!」
「いーから、脱ーげってほらほら」
もうホントお前知らないからな、途中で止めるとか言われても無理だぞ、と再三に渡って言われた芯子は、実にうざったそうにハイハイと答えると昨日のようにズボンに手を掛け、前を寛げていく。観念したのか諦めたのか解らない一郎は、それでも上は脱ぐことなく、ただその芯子の様子を目で追った。
芯子が、一郎のソレを取り出してさする。
「どーでもいーけど、アンタパンツまでだっさい、な」
「なんでだよ、可愛いだろ、ピンクで」
「いーとしこいた上司が蛍光ピンクでアヒル柄の下着穿いてるとか、絶対ヤだ」
昨日見てたら萎えてたカモ。
冗談混じりな口調でそう言って、勃起しかけているそれを指でつついたり、撫でたり唇でなぞったりと弄ってから、握り込んだ。
尿道の穴を攻め、そこから滲み出たものを周りに塗り付ける。時々思い出したようにペロリと亀頭を舐めたり雁首を弄る気紛れさが、猫のようだ。
口に含んでくちゅくちゅと唾液まみれにして下の袋も舐る。
伏せた睫毛、器用に動く舌、掛かる吐息のなま暖かさ、さらさらと纏わる横だけ下ろした髪。
自分のモノが出し入れされる様が卑猥で、一郎は喉を鳴らした。
「芯子、も、いいから」
「ひゃんひぇ」
「ッ……喋るな……!」
口一杯に頬張ったモノをズルリと出した芯子は、唇に付いた唾液だか体液だかを舐めとる。
そのまま、自分のズボンと下着を脱いだ。
「なーんかアンタやる気なさそーだ、し……好きにするからな?」
言うが早いか、慣らしていない自分のそこに一郎のソレをあてて、重心を落とす芯子に一郎が瞠目した。
「おま……」
「あ……ん……ンン……」
口に一物を含みながら芯子自身濡れてはいたのだろうが、それでもつい昨日まで久しく閉じていたそこにある程度太さのあるそれを入れるのは難しいようだ。膝を折りながらゆっくりと埋めていく。
「ン、……いちろうさん、」
「え」
ふいに名前を呼ばれて、一郎が間の抜けた声を出した。芯子の瞳が訝しげに一郎を捕らえる。
「なに、なま、え、よばれたいん……でしょー……? ぁっ……やっば……」
きもちいい、と、腕で身体を支えながら腰を上下させる芯子を、一郎はじっと見詰めた。そして、芯子の上下するリズムに合わせて、一郎も腰を使う。
「あっ、や、だ……ぁ」
「何が嫌なんだよ、こんな……あーも……知らねーって俺言ったからな!」
一郎はベッドから上半身を上げ、洋服ごと芯子を掻き抱くと深く腰を打ち付けた。
「ぁああッ……っぅ!」
「く……」
子宮口を抉るように穿つ。一郎の耳元では、芯子がひっきりなしに喘ぎ、細いうではその首にしがみついた。
芯子が強請る口付けに応えて口内を舐り、騎乗位だった体位をその身体を押し倒して正常位に換えて脚を持ち上げると更に腰を入れる。
奥に届く度に、芯子が身悶えた。
「ぁッあ、……ぅん……!」
「く……ぅ……芯子……ッ!」
「……ッひぁ……ッ」
「うゎ、ッ」
一郎は、一瞬狭まった芯子の中で、耐えきれず精を放つ。歪んだその顔と突然緩やかになった動作に、芯子が唇を尖らせた。
「……」
「……すみません……」
「ほんっと……相変わらずはやーい、な……」
「う……」
「……どーすんの、抜くの、抜かないの」
芯子の言葉に、一郎はふっとだらしなく笑みを浮かべるとその身体を抱え直した。
※※※
「……しーんぐーるぱー……」
添えた手が、鎖骨を辿る。芯子はそこに唇を寄せると、きつく吸った。二つ目の跡。
一郎の眉が寄り、目蓋が持ち上がる。
「んー……?」
「腰、おっもいんだけど」
「うん……」
「もー三時なんだけど?」
「……マジで?」
「マジで。風呂入って、買い物付き合って」
だるい重いを繰り返しながら、芯子はよたよた浴室へ向かった。
「あー……シーツの替えどこだっけなあ……」
芯子の後ろ姿を見ながら呟いた一郎は、置きっぱなしだった仕事鞄に目を向ける。
「携帯の充電もしてねーや……」
気怠い身体を動かして、鞄を取る。中から出した携帯を開けば、一件の着信があった。相手は、工藤優。
一郎の胸がずくりと動いた。ああそうだ、堤芯子に惚れているのは、自分ばかりではない。
「話つけねーとな……」
意を決した一郎、の後ろで、あー、と芯子の声がした。振り向くと至近距離に顔があり、一郎は目を見開く。全く気配を感じなかった。
「だれからの連絡いっしょーけんめい見てんのかと思ったら……」
「……」
「……アタシが選んだのは、アンタだよ」
後ろからわしわし髪を混ぜられる。
「ああ……」
「……あーもうっ、ほら! いつまでもジメジメしてないでとっととケツ上げな、シーツ洗うんだから! アンタの服も一緒に洗濯しちゃうから、全部脱いで洗濯機入れとけ」
「ってお前素っ裸になったら風邪、」
「い、ち、ろ、う、さん」
「だから最後まで、」
「お風呂、一緒に入ってアゲルから、中で待・っ・て・て」
「……!」
ちゅ、と一郎の頬に口付けた芯子は、ズボンだけ穿くと、トタトタ台所を横切りベランダに出て自分の下着と洋服を取り込む。
お天道様がよく射し込んでいたおかげで着られる程度には乾いていた。
冬の強く暖かい日差しは今もベランダに降り注いでいる。
「……んー……まぶしーね、こりゃ」
芯子は空を仰ぐと、一郎への電話の主を思い浮かべた。
芯子さん、好きです。
そう言った優が本気だなんて、そんなのとっくに知っている。それでも、芯子が選んだのは、優ではなかった。
(アタシが、選んだのは)
「我ながら、よくわかんない趣味してる、な」
芯子は、風呂場で待つであろう恋人を思い返して笑みを零し、そしてもう一度、もう一人のシングルパーに思いを馳せた。
(優。アタシ、アンタに言わなきゃなんないことがある)
中年男が出っ張った腹か、と思っていたが、この男は意外にも記憶に違わない身体つきを維持している。いい意味で。それに、身体の相性もこれまでの数えられるどの男よりいいのだろう。
(ま、あいっかわらず耐え性はないけど、な)
※※※
「アタシさ、嫌いじゃナイんだよねえ」
芯子は、それだけ呟くと徐に一郎の服を捲り上げた。狼狽える男には構わず、見えた肌に顔を寄せ、吸いつく。
強めに舌を使えばそこには鬱血の小さな跡。それをなぞって、芯子は唇を舐めた。
「アンタとするの」
芯子は上体を起こすと、仰向けの一郎の腰に跨がるように座った。そのままゆらゆらと身体を動かす。
「お前、あんま煽んないでもらえねーかな……。……ッホント、余裕ないのよ俺……」
「嫌いじゃナイっつってんのに、なーんでそんなコトゆーわけ?」
「そりゃ俺はいい。……気持ちいいしな。挿入れて動くだけだし。でも、お前、久しぶりで辛くないか?」
「……っとに、パー……」
好きだのなんだの言う癖に、アタシに惚れてる癖に、自分本位で動こうとはしない。そんなところに少し苛立つ。普段言い合いをしているときのような距離がいいのに。
「パーってなんだ、俺はお前を心配して、」
「脱げ」
「聞け!」
「いーから、脱ーげってほらほら」
もうホントお前知らないからな、途中で止めるとか言われても無理だぞ、と再三に渡って言われた芯子は、実にうざったそうにハイハイと答えると昨日のようにズボンに手を掛け、前を寛げていく。観念したのか諦めたのか解らない一郎は、それでも上は脱ぐことなく、ただその芯子の様子を目で追った。
芯子が、一郎のソレを取り出してさする。
「どーでもいーけど、アンタパンツまでだっさい、な」
「なんでだよ、可愛いだろ、ピンクで」
「いーとしこいた上司が蛍光ピンクでアヒル柄の下着穿いてるとか、絶対ヤだ」
昨日見てたら萎えてたカモ。
冗談混じりな口調でそう言って、勃起しかけているそれを指でつついたり、撫でたり唇でなぞったりと弄ってから、握り込んだ。
尿道の穴を攻め、そこから滲み出たものを周りに塗り付ける。時々思い出したようにペロリと亀頭を舐めたり雁首を弄る気紛れさが、猫のようだ。
口に含んでくちゅくちゅと唾液まみれにして下の袋も舐る。
伏せた睫毛、器用に動く舌、掛かる吐息のなま暖かさ、さらさらと纏わる横だけ下ろした髪。
自分のモノが出し入れされる様が卑猥で、一郎は喉を鳴らした。
「芯子、も、いいから」
「ひゃんひぇ」
「ッ……喋るな……!」
口一杯に頬張ったモノをズルリと出した芯子は、唇に付いた唾液だか体液だかを舐めとる。
そのまま、自分のズボンと下着を脱いだ。
「なーんかアンタやる気なさそーだ、し……好きにするからな?」
言うが早いか、慣らしていない自分のそこに一郎のソレをあてて、重心を落とす芯子に一郎が瞠目した。
「おま……」
「あ……ん……ンン……」
口に一物を含みながら芯子自身濡れてはいたのだろうが、それでもつい昨日まで久しく閉じていたそこにある程度太さのあるそれを入れるのは難しいようだ。膝を折りながらゆっくりと埋めていく。
「ン、……いちろうさん、」
「え」
ふいに名前を呼ばれて、一郎が間の抜けた声を出した。芯子の瞳が訝しげに一郎を捕らえる。
「なに、なま、え、よばれたいん……でしょー……? ぁっ……やっば……」
きもちいい、と、腕で身体を支えながら腰を上下させる芯子を、一郎はじっと見詰めた。そして、芯子の上下するリズムに合わせて、一郎も腰を使う。
「あっ、や、だ……ぁ」
「何が嫌なんだよ、こんな……あーも……知らねーって俺言ったからな!」
一郎はベッドから上半身を上げ、洋服ごと芯子を掻き抱くと深く腰を打ち付けた。
「ぁああッ……っぅ!」
「く……」
子宮口を抉るように穿つ。一郎の耳元では、芯子がひっきりなしに喘ぎ、細いうではその首にしがみついた。
芯子が強請る口付けに応えて口内を舐り、騎乗位だった体位をその身体を押し倒して正常位に換えて脚を持ち上げると更に腰を入れる。
奥に届く度に、芯子が身悶えた。
「ぁッあ、……ぅん……!」
「く……ぅ……芯子……ッ!」
「……ッひぁ……ッ」
「うゎ、ッ」
一郎は、一瞬狭まった芯子の中で、耐えきれず精を放つ。歪んだその顔と突然緩やかになった動作に、芯子が唇を尖らせた。
「……」
「……すみません……」
「ほんっと……相変わらずはやーい、な……」
「う……」
「……どーすんの、抜くの、抜かないの」
芯子の言葉に、一郎はふっとだらしなく笑みを浮かべるとその身体を抱え直した。
※※※
「……しーんぐーるぱー……」
添えた手が、鎖骨を辿る。芯子はそこに唇を寄せると、きつく吸った。二つ目の跡。
一郎の眉が寄り、目蓋が持ち上がる。
「んー……?」
「腰、おっもいんだけど」
「うん……」
「もー三時なんだけど?」
「……マジで?」
「マジで。風呂入って、買い物付き合って」
だるい重いを繰り返しながら、芯子はよたよた浴室へ向かった。
「あー……シーツの替えどこだっけなあ……」
芯子の後ろ姿を見ながら呟いた一郎は、置きっぱなしだった仕事鞄に目を向ける。
「携帯の充電もしてねーや……」
気怠い身体を動かして、鞄を取る。中から出した携帯を開けば、一件の着信があった。相手は、工藤優。
一郎の胸がずくりと動いた。ああそうだ、堤芯子に惚れているのは、自分ばかりではない。
「話つけねーとな……」
意を決した一郎、の後ろで、あー、と芯子の声がした。振り向くと至近距離に顔があり、一郎は目を見開く。全く気配を感じなかった。
「だれからの連絡いっしょーけんめい見てんのかと思ったら……」
「……」
「……アタシが選んだのは、アンタだよ」
後ろからわしわし髪を混ぜられる。
「ああ……」
「……あーもうっ、ほら! いつまでもジメジメしてないでとっととケツ上げな、シーツ洗うんだから! アンタの服も一緒に洗濯しちゃうから、全部脱いで洗濯機入れとけ」
「ってお前素っ裸になったら風邪、」
「い、ち、ろ、う、さん」
「だから最後まで、」
「お風呂、一緒に入ってアゲルから、中で待・っ・て・て」
「……!」
ちゅ、と一郎の頬に口付けた芯子は、ズボンだけ穿くと、トタトタ台所を横切りベランダに出て自分の下着と洋服を取り込む。
お天道様がよく射し込んでいたおかげで着られる程度には乾いていた。
冬の強く暖かい日差しは今もベランダに降り注いでいる。
「……んー……まぶしーね、こりゃ」
芯子は空を仰ぐと、一郎への電話の主を思い浮かべた。
芯子さん、好きです。
そう言った優が本気だなんて、そんなのとっくに知っている。それでも、芯子が選んだのは、優ではなかった。
(アタシが、選んだのは)
「我ながら、よくわかんない趣味してる、な」
芯子は、風呂場で待つであろう恋人を思い返して笑みを零し、そしてもう一度、もう一人のシングルパーに思いを馳せた。
(優。アタシ、アンタに言わなきゃなんないことがある)